「リアリティ」と「意味」
今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「彫刻」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。
他のいくつかの点で、彫刻と視覚芸術品は同等の意味を担っている。つまり、これらは「思い出」「つながり」「内的性質」を反映しており、「自己」と「肉親」に関する感情を絵画の場合とほぼ同じ割合で含んでいる。それらは、民族的宗教的結合のようなフォーマルな絆を担う傾向にあり、友人と結びついた意味はあまり多くない。
他の多くの物と同じように、彫刻は家族関係をあらわすことが多い。
私(十代の少女)は、これ(母親の部屋にあった胸像)を一生大事に扱うつもりです。私がまだ学校にあがる前、母といっしょにそのお店に行ったとき、これ、お母さんに似てるねっ、て言ったの。そうしたらお母さんが買ってくれたの。一生大切にするつもりよ。だって、これはお母さんのことを思い出させてくれるから。
それらは、娘の目を通してそれを作った人のことを教えてくれている。それは本当にきれいなの......。もし火事で家が燃えたら、それらを全部持ち出すつもりだし、実際そうするでしょう。そのうちの一つでも失ったら、悲しい気持ちになりそうだから。
おそらく絵よりも彫刻のほうが、人は実物に近いと思うだろう。彫刻の三次元リアリズムは、絵画では味わえない生きているような感じと手触りをもたらしてくれるからである。
自分が彫刻を所有していないこと、普段の生活の中で彫刻を目にする機会もあまりないことから、今回取り上げたコメントは私にとって新鮮なものでした。
彫刻を目にするときのことを思い出してみると、彫刻それ自体が美しいと思うこともありますし、彫刻が完成に至るまでの過程を想像しながら、作者の情念のようなものを感じ取ろうとしている気がします。
引き算。「あるべき空間」以外の余分な空間を削り取っていく。自分が思うあるべき姿に向かって、ひたすらに差し引いてゆく過程に「美しさ」という概念が内包されているのかもしれません。
そして、著者も述べているように、彫刻の三次元構造がもたらすなめらかな質感がリアリティを持って大切な人の記憶・思い出を呼び起こす触媒となるのかもしれない、と思えました。
「なぜ人はリアリティを追求するのだろう?」
「そもそもリアリティとは何だろう?」
モノのリアリティを通じて、人それぞれの「意味」が引き出されてゆく。
「意味」というのは、外から与えられるものではなく、自分の内側から湧き上がるのだということを教わった気がします。