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非対称性との向き合い方〜遊びと身体〜

どのように身体の「左右差」と向き合うか。

非対称性に気づいて、解消していくことでバランスを取り戻してゆく。

けれど、その左右差という非対称性の解消は簡単ではない。

日常生活の動作、利き腕、利き足、筋肉のつき方など、様々な要因が重なりあって非対称性が生まれている。

左と右。

片方ずつ動かしてみて、なかば身体で遊びながら落ち着く場所を探していると、いつか差が縮まっていることに気づく喜びがある。

すると、作品が作品であるゆえんはどのような点に存するのか。たったいま、かなりおおざっぱに予示されたことをたえず見やりつつ、さしあたり、作品の二つの本質動向〔世界と大地〕がいっそう明白にされなければならない。そのさい、われわれは、ずっと以前から知られている作品存在にとって前景をなすものから、すなわち、作品に対するわれわれの習慣的な態度に支えを与えている物的なものから出発しよう。

マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』

本質的なものは、指図する尺度として、もろもろの指図をあたえるのだが、祝祭的に - 立てること〔Errichten〕とは、すなわち、そうした指図する尺度に沿うものという意味での、ふさわしいものを開くことを言う。しかし、なぜ作品を立てることは、奉献しそして讃美しつつ祝祭的に立てることであるのか。それは、作品がその作品存在においてそのことを要求しているからである。どうして作品はそのような立てることを要求するようになるのか。作品それ自体がその作品存在において立てるものだからである。作品は作品として、何を立てるのか。それ自体の - 内において - そびえ立ちつつ、作品は、一つの世界を開示し、そしてその世界が支配しつつ滞留するように保持するのである。

マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』

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