音と空気とつながり
今日はミハイ=チクセントミハイ(アメリカの心理学者)による『モノの意味 - 大切な物の心理学』の第3章「家の中でもっとも大切にしている物」より「ステレオ」を読みました。では、一部を引用してみたいと思います。
今回のわれわれの調査で、子どもたちが話してくれたことが、若者たちとステレオ、そして音楽との関係がいかなるものかを考えるヒントとなるかもしれない。
落ち込んだときにはステレオのスイッチを入れるんだ。そうすると、またハッピーになれるからね......(それがないとどうなると思いますか)楽しい日々が暗い毎日に変わってしまうだろうね......なぜなら、音楽は元気を取り戻してくれ、つらい日々を楽しい日々に変えてくれるからね。
同じようなテーマは、成人男性(警官)の回答にも見られる。
私は音楽が好きで、何時間も音楽を聴いています......ですから、ステレオがないと途方にくれてしまうでしょうね......音楽は文字どおり一種の鎮静剤なんです。つらい思いをした夜、多くの逮捕者を扱ったとき、報告書を書かなければならないとき、裁判所へ行く準備をしなければならないとき、音楽は気分をやわらげてくれるのです。それがないと、少しいらいらするでしょうね。
このように、レコードやテープの登場でとても身近になった音楽は、感情の調節手段として否定感情を埋め合わせる一つの方法として機能しているように思われる。この機能の重要性は、成人期や老年期より日々の気分が変動しやすい青年期においてとりわけ高い(Larson et al., 1980)。しかし、ステレオは必要が生じたときに受動的に服用される「興奮」剤や「沈静」剤ではない。それはまた人間が機械に能動的にかかわることを可能にするものでもある。
音響メディアの発達に伴い、音楽は空気と同じぐらい身近になっています。最初は音源(楽器など)がある場所に人が集まって、ライブで聴いていた。時間と空間が一体となっていたわけです。
音を記録する媒体の登場に伴って、音楽は時間と空間を超えることができるようになりました。レコードやカセットテープ、CDなどのメディアに記録され、CDショップやレンタルショップを介して手元に届いていた時期を経て、今では音はデジタル化され、中間媒体を介することなくデータとして瞬時に届きます。
本書のインタビューは「人とモノの関係性」の調査として、1977年にシカゴ都市部に住む82家族に対して行われたものですので、大切なモノの上位に「ステレオ」があがっていますが、もしいま同じインタビューを実施すれば、ステレオは「パソコン」や「スマートフォン」に代替されるかもしれません。
「もし、音響メディア(手軽に音楽を聴く機会)がなくなったらどのような気持ちになるだろう?生活はどう変わるだろう?」と問われたら、どのように答えるでしょうか。
今回引用したインタビューのコメントにあるように、たしかに音楽は沈んだ気持ちを和らげたり、活力を与えてくれる力があると思います。
「他にどんなことがあるだろう?」と考えてみると、互いにどのような音楽が好きなのかを共有することによって、他者とのつながりが生まれます。
「そのアーティストが好きなら、このアーティストもオススメだよ!」と、動画などをシェアしてみる。「オススメ聴いてみたけど、いいね!」とその後の会話が弾んだり。
そもそも音は振動、つまり波です。音を耳にするとき、音を発している人や存在と「目に見えない」空気という媒体を通してつながっていることを感じさせてくれます。物理的な音そのものが「つながり」の象徴だと思います。
あるいは「日常の景色の見え方が変わる」かもしれません。
何気なく流れる音楽が、その景色の印象を変えてくれる。壮大に感じさせたり、寂しさを醸し出したり。昔に人がそこにいた気配や賑やかさを感じさせたり。
景色は様々な意味を持っていて、流れる音楽が変われば引き出される意味も変わる、ということなのだと思います。つまり、無味乾燥な景色を着色するのではなくて、本来は豊かな意味を含んでいるはずの景色に相対したとき、音楽は私たちがその意味に気づく手助けをしてくれる存在なのではないか。
そんなことを思いました。