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空間とは何だろう?

今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「複眼の視点」を読みました。

昨日読んだ内容を少し振り返ると「見立て」というテーマに触れました。日本に通底する美意識。繊細、丁寧、緻密、簡素。古来から簡素を基本とするミニマリズムを運用するイマジネーションが育まれてきました。「見立て」はまさにそのイマジネーションを体現する営みです。

茶の湯。簡素ながら隅々まで配慮の行き届いた茶室。水盆に水を張り、桜の花弁を散らし浮かべる。あたかも桜の木の下にいるような豊かなイメージが湧き上がってくる。あるいは水菓子。その風情に夏の情感が託され、涼を分かち合う。

イメージの源泉は、余白と触媒。茶室の余白、桜や水菓子という必要最低限の要素によって、人の内側から記憶や経験、その先にある未来の経験、情景が引き出されてゆく。情報過多になりやすい時代だからこそ「引き算」して余白を作りたい。そのようなことを感じました。

さて、今回読んだ範囲では「経験のデザイン」というテーマが展開されていました。

もてなしの編物

「日本の美意識が未来資源であるとするなら、それを観光という産業の中で具体的にどう生かすか」と著者は問いかけます。観光も様々な要素からなる中で「ホテル」に焦点があたります。

ホテルの品質は、建築やインテリアに集約されるものではない。もちろんそれも重要だが、大事な点は他にある。それはまさに「経験のデザイン」とでも呼ぶべきものであり、ホテルで過ごすあらゆる瞬間、あらゆる刹那をパイ皮のように積層させることで完成されていく「もてなしの織物」である。

「もてなしの織物」という言葉が印象的です。織物はタテ糸・ヨコ糸が緻密に重なりあってできています。素材(繊維)によって異なる風合い、造形、機能性。

「編む」という営みは順序が存在している。逐次的(sequential)、叙述的(descriptive)だなと思います。どこからどのように編み込んでいくのか。全体が調和するように部分を重ねていく。

そのようなイメージを持って「もてなしの織物」という言葉を捉え直すと、「ツギハギではない」ということが大事なのだと思います。すべてが自然に無理なくひとつなぎにつながっている。「織物」のニュアンスを「編む」というプロセスから見つめ直してみました。

どんな姿の従業員がいかなる物腰で対応し、客はどこに導かれ、どんな家具に腰を下ろすのか。そこに運ばれてくる飲み物はどんな器、どんな間合いで供され、何を予感させるものであるのか。チェックインはどんな雰囲気で進み、どんな書類にいかなるペンで何を書き込むのか。部屋に通される前に渡されるのはどんなホルダーがついたいかなる形状のキーであるか......。

著者の言葉は美意識の発露として高級リゾートホテルが念頭に置かれたものです。ホテルなのか、あるいは宿なのか。人生の中で印象に残っている場所があるとすれば、それはどのような場所でしょうか。何が思い返されるでしょうか。建物、インテリア、景色、食事、従業員の方々などなど。

断片的に思い返されることもあれば、ストーリーのように思い返されることもある。私が記憶をたどって思い返されるのは、沖縄で一人旅をしたときにお世話になったとある民宿です。ご夫婦で切り盛りされておられましたが、隅々まで気が配られていました。「ゆんたくしましょうね」とお声がけ頂き果実をつけ込んだ泡盛をふるまって下さって、温かい空気の中で昔のこと、未来のこと。色々なお話をしました。

私の場合はどうやら人が起点となっていて、人との関係性の中に、そして関係を支えるモノや環境との調和に美しさを感じたのかもしれません。

空間とは何だろう?

「空間とはなんだろう?」と問われたらどのように答えるでしょうか。著者は次のように述べます。

花を活けるというのは、空間に気を通わせるということである。空間とは壁に囲まれた容積のことではない。意識を配して、配慮の明かりが点灯している場所のことである。何もないテーブルの上にぽつりと石を置くと、そこに特別な緊張が発生する。その緊張を介して人は「空間」にふと気をとめる。このように、施設の内に小さな蟷螂を灯すように、ぽつりぽつりと意識が灯されて空間になっていく。花を活けるというのはそういう行為である。造形そのものもさることながら、心の配信が空間に生気を生み出すのである。

「造形そのものもさることながら、心の配信が空間に生気を生み出すのである」

空間は物理的に囲まれた容積でなく、自分が意識してゆくもの。それは客観と主観という対比として捉えられるのかもしれません。石、灯篭、花。ポツンと配置された何かが触媒となって、普段は意識されない空間に対して意識が向いてゆく。

「心の配信」とは「心を配る」ということです。それは「意識を向ける」ということ。全方位的に同時に、全体を捉えるように意識を向ける。全体から細部へと意識を向ける。全体と細部を往復しながら、何かの関係が見出されてゆく。

物理的な空間は「境界」によって生まれるわけですが、空間という概念をもう少し広く捉えてみたい。意識する要素・対象が増え、それらの豊かな関係性が、連なりが見えてゆく中で拡充されていく。空間は固定的ではなくて、自分の内側から放射状に広がってゆくものなのではないだろうか。

そのようなことを思いました。

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