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物事の同時性・不可分性〜文脈の中で意味が立ち現れるということ〜

「文脈の中で意味が立ち現れる」

降り注ぐ雨も、暑い季節に降るのか、それとも寒い季節に激しく降るのか、あるいは激しく降るのか、しとしと降るのか。

物理的な特徴は同じだとしても、どのような文脈に置かれるかによって印象は全く異なります。

暑い季節では、雨の冷たさは裏側に隠れ、ふれる瞬間には水の柔らかさが表に出てくるように思われる一方、寒い季節では雨の冷たさが表に出て、ふれる瞬間には水はどこか固く鋭い感じがします。

気温と印象は自然と結びついていて、「水そのもの」だけを感じているということはないのだと思います。

こう考えてみると、「物事」という言葉の本質とは「物か事か」ではなく、「物と事」という「同時性」「不可分性」にあるのかもしれません。

そんなことを思う初冬の夜。

私たちが、水を最も感じるのは、湿潤・冷たさ・柔らかさによってではあるまいか。なぜならば、水はきわめて日常的な物質であり、日々に水と接触することによって、私たちは水を、触覚的な物質としてとらえ、「湿潤なるもの」「冷たきもの」あるいは「柔らかきもの」としてイメージしているからである。にもかかわらず、私たちの住む都市や建築には、これらの特徴を全く知覚できない水空間があまりにも多過ぎるように思われる。

鈴木信宏『水空間の演出』

これらの水のイメージが、感動を伴って、より一層鮮明に想起されることがある。それは、湿潤、冷たさ、及び柔らかさが、それぞれ対極的な意味の乾燥、暑さ、あるいは街の固さとともに知覚されるときである。その時水は、「快適さ」や「優しさ」といった感情を伴って、「快適な潤い」「快適な涼しさ」あるいは「快適な柔らかさ」としてイメージされる。

鈴木信宏『水空間の演出』

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