視覚と触覚は分かれていない?
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「目で見ることで絵画に「触れて」みよう」を読みました。
昨日は「物を拡大して見ながら触れると触覚の感度が上がる」という話にふれました。物の表面は肉眼では確認できない極微の世界でもあります。その世界がどのような表情をしているのか観察できなければ意識することはなく想像で補うほかありません。
物を拡大してゆくと極微の世界がありありと浮かび上がってくるわけですが、解像度が上がった状態であらためて物に触れると解像度高く現れた物の表面を触っていることが想起されて感度が高まるようです。
さて、今回読んだ範囲では「視覚と触覚は未分化である(切り離せない)」というテーマが展開されていました。
著者は「見た目から触感を想起する能力」について次のように述べます。
たしかに写真と絵画では同じ物や情景を表現しても、見た目の質感が異なります。この見た目の質感というのは「ふんわり」「ザラザラ」など「もし触れたらきっとこんな手触りだろう」という想像の触感とも言えるかもしれません。
この著者の言葉は私の実体験と重なりますが、物を見ているとき、触れていないのにあたかも物に触れているように感じることがあります。例えば、金属の手すりを見ているとき、手すりに触れているわけではないのに、手のひらがどことなくソワソワすることがあります。
金属の手すりに手のひらで触れたときの、ザラザラとサラサラの間のような触感。
「視覚を介して立ち上がる未分化の感覚世界を味わってみましょう」
自分の感覚世界を著者が代弁してくれたような気持ちになりました。