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身体の部位によって触力の強さは異なる

今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「手のひらに文字を書いてあてっこしよう。次に、背中でもやってみよう」を読みました。

昨日は身近な事例としての麻酔薬の仕組みとあわせて「もし触感がなくなったとしたら?」という問いにふれました。

(感覚器としての)触覚と(私たちが感じる)触感にはどのような関係性があるのか。どのような仕組みで触感が生成されているのか。

皮膚の表面には「イオンチャネル」という孔(あな)が無数に存在しています。イオンとは電気を帯びた分子のことです。普段はマイナスに帯電していますが、何かに触れると(つまり皮膚が変形すると)イオンチャネルをプラスのイオンが通過します。

これにより電気的なエネルギー状態(電位)が変化し、そのエネルギー状態の変化が感覚神経を伝わって「何かに触れている」という触感が生まれます。麻酔薬はイオンチャネルが開くのを阻害するため、電気的なエネルギー状態の変化(つまり、何かに触れているという情報)が伝達されずに触感がなくなるのです。

また、「触感がなくなったら必要以上に力を込めて物をつかんでしまう」との実証結果が紹介されました。「自分の思いどおりに身体が動いている」という実感と触感が深く結びついているのだな、とあらためて感じました。

本節では「触覚の強さ、感じ取る力は身体の場所によって異なる」という話が紹介されています。

触覚を感じ取る力はどのように測定されるのだろう?

著者は、触覚を感じ取る力の測定方法を紹介しています。

 これまでに考えられてきた触力検査には、大きく分けて2つの方法があります。一番よく知られているのが「二点弁別閾」という試験です。これは、目隠しをした被験者に、2本の針の先端で刺激を与え、いま受けた刺激が針1本だったか、2本だったかを尋ねるという検査です。(中略)もうひとつの触力検査法は、圧力をかけて、その圧を知覚できる最小の大きさをもって感覚閾値を決める、という方法です。数字が小さいほど、わずかな圧力までも感じ取れる、つまり感覚が鋭いということになります。この検査法は、聴力検査に近いと言えます(聴力検査では、低い音量からだんだんと音を大きくしていき、どの時点で聴こえるかを測定します)。

身体の場所によって感じる力が異なるという事実は、このような測定方法による実証を積み重ねた結果として明らかになったことです。言われてみると指先は何かに触れている感覚が鋭いように思いますが、たとえば背中は何が触れているのか細部を捉えるのは難しいです。

「二点弁別閾」という測定方法の詳細は次のように補足されています。

刺激点を十分に遠ざけた場合から初めて、じょじょにその距離を縮めてゆくと、最初のうちは2点と感じられていたものが、いつの間にか1点であるかのように感じられる地点があります。そのときの距離をもって、「触力」とするのです。これは空間解像度を測る検査であり、距離が短いほど触覚が鋭いということになります。

二点弁別閾、感覚閾値。どちらの手法も「境界線を見つける」という点では共通しています。「分かる」とは「分ける」は言葉として同源ですが、境界が見つかって区別できるようになると「わかった!」と思えるわけです。(区別がつくことだけが唯一の分かり方ではないと思います)

実験結果とあわせて実験方法も興味深いです。どのようなきっかけで実験方法を思いついたのか気になるところです。

頬を寄せあうのは「心地よい」から

触力の差異は、日常の中でどのような意味を持つのでしょうか。著者はコミュニケーションの事例を紹介しています。

 欧米の親しい友人間の挨拶で、握手ではなくて頰をくっつける「ビズ」という挨拶の形式がありますが、なぜ頰が挨拶に利用されるようになったのか、その理由がよくわかります。それに顔には、心地よい感覚を脳に伝える神経(C繊維)がたくさん入り込んでもいるのです。私も数回この挨拶を交わしたことがありますが、大切にされているんだなと感じて胸が熱くなりました。

「顔には、心地よい感覚を脳に伝える神経(C繊維)がたくさん入り込んでもいる」

たしかにコミュニケーションとして「互いの頰を寄せあう」国・地域はありますが「なぜ頬なのか?」という問いは考えたことがありませんでした。

著者の答えは単純明快で「心地よいから」というもの。その心地よさが「私は大切にされている」という感情につながっている。

コミュニケーションの形態は無数の可能性があると思いますが、直感にしたがった結果として心地よいものが自然と残ってきたと思うと、コミュニケーションのあり方もまた進化を続けているのだなと感じます。

感覚と感情は密接につながっているのですね。

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