「かたち」という言葉の奥行き、あるいは多元性
「かたち」という言葉には計り知れない奥行きがある、と思う今日この頃。
「かたち」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろう?
何か具体的な「モノ」を思い浮かべて、その輪郭を「かたち」として捉えるかもしれない。
その「モノ」は「目に見える」何かを指しているかもしれない。
では、「目に見えない」モノの「かたち」はどうだろう?
たとえば「音」は何かの方法で可視化しなければ「目に見えないモノ」と扱って差し支えないと思われる。
輪郭という言葉を手掛かりにしてみると、音の輪郭はどのように捉えることができるだろうか。
音が聞こえ始めて、聞こえなくなるまで。音の輪郭は「音の持続」によって見えてくる。
それだけではない。音の質感。
たとえば、「透明感のある艶やかな音」であったり、「ザラザラとした乾いた音」など、音の持続による点・線・面だけでなく、その点・線・面に触れた時の質感もまた、輪郭を構成している。
そのように考えると、音の「かたち」あるいは「輪郭」は「質感」をも含む非常に多元的であるように感じられてくる。
さらに、味の「かたち」はどうだろうか。
音のかたちを手掛かりにすると、味のかたちも極めて多元的である。味には香りも含まれていて、口に含んだ瞬間に感じられる味から、その持続、余韻までをもって味の「かたち」である。
いくつかを例示してみたけれど、万物を「かたち」という一つの言葉で包み込むことができるのではないか、と思えてくる。
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