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"日本"というレンズを通して眺める(縁・座・匠)
今日からしばらくの間、『匠の流儀 - 経済と技能のあいだ』(編著:松岡正剛)という書籍を読み進めます。
昨日までは「人とモノの関係性」つまり「モノの意味」を通じて「意味とは何だろう?」という問いを考えてきました。自分の中でほんの少し「意味」という言葉の輪郭がはっきりとしてきたように思います。
「モノ」というレンズを通して「意味」の輪郭を捉えようとしたとも言えるかもしれません。「意味と向き合うため、他にはどんなレンズが必要だろう?」とぼんやり考えていると「日本」という言葉が浮かんできました。
2015年に第1刷が発行された本書は以下のように紹介されています。その中の「縁・座・匠」という三つの言葉に無性に惹きつけられました。
グローバル化するビジネス市場において、真のアイディアは自国の文化にこそ秘められている。これまでとは違う発想を展開するために、「縁」(ネットワーク:流通)、「座」(プラットフォーム:場)、「匠」(アーティスト:職人、技術)によって形成されている伝統的な経済のあり方を見直すことが緊急の課題となっている。本書は「日本」という国を経済という視点からその歴史や文化について見極める。
今日は「第1章 資本主義社会と匠たち - 社会力・経済力・文化力」を読みましたので、一部を引用します。「グローバル資本主義が加速する中で、日本企業はアメリカン・グローバルスタンダードに対する盲目的な従属によって維持されている」というメッセージと共に、その背景として注目されている「自発的隷属論」が取り上げられています。
モンテーニュの親友にエティエンヌ・ド・ラ・ボエシーという法哲学者がいた。(中略)そのラ・ボエシーに、一六世紀半ばの社会を観察して書いた『自発的隷従論』という一冊がある。人々が君主社会や組織に従うのは、そこに従いたいという自由意志がはたらくからで、必ずしも嫌々ながら組織に従っているのではないと主張した。そして「他人を利用する自由」と「他人に利用される自由」が出会うとき、人々は従属や隷属を苦痛とは思わなくなると結論づけた。
まったく逆の見方もある。中谷巌の『資本主義以降の世界』が提示しているような見方だ。中谷さんは前著の『資本主義はなぜ自壊したのか』において、すでに資本主義社会の矛盾は限界点に達していると見た。とくにグローバル資本主義には三つの根源的な欠陥があって、これを回避もしくは突破するにはそうとうの文明論的な視野の転換と経済文化に対する愛情をともなう認識が必要だと訴えた。
ただしどちらかを採るとなると、かなりの開きが出るだろう。二一世紀のグローバリズムを前にしての自発的従属か、自発的連帯か。そういう開きになる。これらを混ぜれば新たな方向が見えてくるかというと、そういうものではないだろう。
しかしここでは、これらとは異なる別の考え方を紹介して、私の見方につなげたい。なぜならこの二つの見解は、ある大きな歴史観や文明観の二つの側面に別々のライトが当たっているとも思えるからである。そのライトを受けている正体のほうがより知られるべきものだと思われるからだ。
「他人を利用する自由」と「他人に利用される自由」が出会う。そのとき、人は従属や隷属を苦痛とは思わなくなる。
33歳の若さでこの世を去った法哲学者、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシーが結論付けたこの言葉がとても印象的でした。
「隷属する・従属する」という言葉を聞くと、(何かしらの強制力が働いて)というカッコ書きを頭の中でおぎなっている自分がいます。つまり自分の意志によるものではない...と。
この「他人に利用される自由」という言葉は、(自分の意志で)隷属するとも捉えられるのですが、その「自分の意志は、本当に自分の意志なのか?」と問うてみると、やはり疑問が残ります。
以前「責任という虚構」という書籍を読んだ際に「自由だと感知される行為ほど決定論的現象」という言葉に出会いました。
自分の人格の奥底から出てきたと感知される判断や行為ほど、自分の経験の積み重ねに裏付けられている。つまり、強く影響されていると。
「二一世紀のグローバリズムを前にしての自発的従属か、自発的連帯か」という著者の問いかけがありますが、その背景となる「人を取り巻く環境」をどのように認識するか、に意識を向ける必要があります。
「私自身が"日本"という環境をどのように認識しているだろうか」と考えると、「十分に語れるほどの積み重ねがない...余白だらけ...」と省みました。
本書を読みながら、少しずつ余白に色を塗っていけたらと思います。