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流れの軽やかさ〜流れの状態と流れているものの性質〜

「流れの軽やかさ」

物事が流れるように進んでいるとき、連携や協調がスムーズであるとき。

勢いはありながら「静かで軽やかな流れ」の上に乗っている感覚を覚える。

その流れの上に、言葉や想いの種を乗せれば、あとは流れに任せておくだけで遠く遠くへと運ばれていく。

流れの状態には二種類あり、流れ方向に向かって規則正しく流れる「層流」と、向きも様々に不規則に流れる「乱流」である。

それぞれの流れの状態がどのような特徴を持ち、どのような条件で発生するのかを知ることから、物事の流れを整える示唆を得られるように思う。

加えて、水は適度な粘性があるからこそ、かき分けて進む(泳ぐ)ことができる。

サラサラすぎてはつかむ感触を得られず、ドロドロすぎてはかき分けること自体が難しい。

流れの状態と、流れているものの性質の組み合わせ。

また、かんかん照りの上天気に、せせらぎに足を浸したときの心地よい水の冷たさは、多くの人が知っている水のイメージであろう。日本昔話にも、「そこにはちいさな滝があったんじゃと。やれやれ……。おお、いいきもちじゃ。せせらぎに足を入れてみると、ひんやりつめたくて、それはそれは、生きかえるようなここちじゃった」とある。昔から、冷たい湧水や、その上を通ってくるそよ風は、この上ない涼をもたらしたようである。平安時代の『作庭記』にも、「人家に泉は必あらまほしき事也。暑さを去ること泉にはしかず」とある。

鈴木信宏『水空間の演出』

水は常に低きに向けて流れる。「流れるものはすべて水」とは、G・バシュラールのことばである。『水と夢』の中で彼は、「想像力にとって流れるものはすべて水に属しており、哲学者ならば流れるものはすべて水の本性を分担するということだろう」と述べている。流動する水は、観察者が、その変位に着目するのか、あるいは、方向、勢い、変化、または音質に着目するのかによって、異なったイメージを指向する。

鈴木信宏『水空間の演出』

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