オノマトペの発音・語感が音と触感をつなぐ。
今日は『触楽入門 -はじめて世界に触れるときのように-』(著:テクタイル)から「あたらしいオノマトペをつくってみよう」を読みました。
昨日は「音が触感を増幅する」というテーマにふれました。雪道を踏みしめて歩くとき、落ち葉が散っている道を歩くとき、玉砂利の上を歩くとき。色んな音がします。ザクザク、サワサワ、ジャリジャリ。
音が聞こえてくると雪や落ち葉や砂利があることを、それらに触れているという実感が湧いてきます。音は空気の振動です。振動が時間をかけて空気を伝わって耳に届いている。何かしらの行為の結果として音が生まれている。とすると、音は自分の行為に対するフィードバック(結果)として、行為に因果関係を、意味をもたらしてくれるものなのかもしれないと思いました。
歩いている時だけではなく何かを食べている時も音が聞こえてきます。ポリポリ、パリパリ、シャキシャキ、ザクザクなどなど。なぜかキノコを食べている時のシーンが頭に浮かんできたのですが、触感を表す音が難しいです。シャキシャキのような感じではあるけれど、キレのよい感じではなくやや曇ったような鈍い感じです。ジャクジャク?
自分が何かをしているとき、その結果としてどんな音が返ってきているか。そんなことを意識しながら生活してみると、日常が新鮮に感じられるようになるのかもしれないと感じました。
さて、今回読んだ範囲では「触感を音で表す言葉、オノマトペ」についてふれられています。
オノマトペが豊かな日本語
著者は、「日本語はオノマトペ(擬音語・擬態語)が豊かな言語である」と述べます。
辞典に掲載されているだけでも4500ものオノマトペが存在するのだと知って驚きました。日々の生活の中で何気なく使っているオノマトペはそのうちのどれぐらいなのだろう。オノマトペ辞典に目を通してみたくなりました。
何かの液体が流れている様子を表現したいとき。「サラサラ」「ドロドロ」という2つの表現を例にとってみると、前者は流れが速くてサッと広がっていく感じ、後者は流れが遅くてじんわりゆっくり広がっていく感じ。
「サラサラ」のほうは触れてもすぐに流れていきそうで、ドロドロは手にまとわりつきそうな感じです。オノマトペによる表現は、物事の特徴を「もし触ってみたらどうなるか?」という観点で音にしているのかもしれません。
日本語は母音と子音の組み合わせで構成されますが、たとえば「サ行」の音は爽やかな感じがするとか、「ナ行」の音はゆっくりした感じがするなど、子音や母音の発音プロセスの中には触感が含まれているような気がします。
だからオノマトペが豊かなのではないか、と。
ヨーロッパの言語ではオノマトペの数が多くないということも新鮮でした。会話の中でオノマトペを使うと、ある物の様子・特徴についてお互いに同じような情景を思い浮かべやすい気がしますが、形容詞で表現するとなると、特徴を直接的に伝えるのではなく遠回しな印象です。
オノマトペがないなら作ってみよう
2004年、国立ベルリン芸術大学の客員教授に招聘された阿部雅世さんのプロジェクトが紹介されています。「触り心地を表現する言葉をデザインする」試みで、具体的には触覚を表す言葉(ハプティック語)をつくるものです。
オノマトペが少ないならば新しく作り出して共有する試み、ハプティック語おもしろいですね。
「パランパラン」という言葉からは、本やノートなど紙の束を手で持って上からぶら下げているような様子を連想しました。「蛇腹状」に近いですね。
「スプレティヒ」という言葉を聞いた時、具体的な光景はパッと思い浮かびませんでした。「枝毛状」という説明と合わせると、箒やブラシなどで「ササッ」と掃いている光景が思い浮かびました。「ス」の音が何かに擦れるような感じです。
「ラフリック」という言葉を聞いた時、ちょっと硬そうな磨かれた木の板を思い浮かべました。洗練された響きのある言葉です。「しわしわでガサガサ」という説明を聞いて、ちょっと自分の印象とは違うなと思いました。
「ジェミー」という言葉を聞いた時の印象としては「ねっとり」とした感じです。ゼリー状のものを思い浮かべました。「シリコンのようなワックス状の手触り」という説明を読んで、自分の印象と近いように思いました。
こうして自分事として捉えてみても音と触感を結びつけているのは「発音」「語感」ではないかという気がします。言葉は単なる記号でもシンボルでもなくて、世界に触れるために存在する、世界と自分をつなぐものとして捉えてよいのかもしれません。