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デザインとは「〇〇らしさ」を見極め・引き出すこと

今日は『日本のデザイン』(著:原研哉)から「創造性を触発する媒質」を読みました。

昨日読んだ内容を少し振り返ると「情報のデザイン」というテーマに触れました。著者が企画に関わった「瀬戸内国際芸術祭」において重要だった情報のデザインとはどのようなものか。それは「移動」と「地図」に関するものです。

瀬戸内海に浮かぶ島々に点在するアートサイトや展示施設への移動は船による海上移動となります。タクシーをつかまえて目的地を告げればサッと簡単に移動できる陸路とは異なり、船会社や運航ルート、便数などの面で陸路に比べると柔軟性に欠ける面があります。

だからこそ、海上移動も重要な要素であることを来場者が認識した上で思い思いに楽しむ素地を整えておく必要がある。著者はロゴマークの脇に必ず七つの島々をつなぐダイナミックな移動ルートを示し、これを実現したそうです。ロゴマークは移動に対するポジティブな意識と行動につながる「触媒」として作用したのです。

また、島々の移動に欠かせない「地図」の正確性も重要視されました。アートサイトや施設を訪ね歩き、もしたどり着いた場所が目的地と異なれば移動に対するネガティブな意識が生まれ、経験からみずみずしさが失われてしまう。だからこそポジティブな意欲を湧き上がらせる触媒として、著者は「google earthよりも何倍も分かりやすく美しい地図」を志向しました。

「情報をデザインする」とは「意識や行為がとどこおりなく流れてゆくための触媒を適切に配置すること」であり「不便・不快を取り除き、新しい快を引き出す営み」であるのだと感じました。

さて、今回読んだ範囲では「創造性を飛躍させる媒質」というテーマが展開されていました。

石と紙とふれ心地

「媒質」とは何でしょうか。「媒質が創造性を触発する」とはどのようなことでしょうか。著者はいくつかの例を挙げています。

人間の創造性を飛躍させる媒質というものがある。たとえば石器時代における「石」。(中略)石の「硬さ」や「重さ」、そして「程よい加工適性」は、直立歩行して自由になった人間の手を創造へと誘う格好の素材であった。硬さや重さは、ものを破壊したり切断したりする意欲を人間にもたらし、その手触りや手応えは、道具を使用する充足感へと人間の感覚を目覚めさせていったはずだ。

歴史の教科書や博物館などで石器を見たことがあります。鋭く尖ったやじり、首飾りなど。尖ったやじりは元々尖った石が使われたのか、あるいは石を磨いて尖らせたのか。石を数珠つなぎにつなげた首飾り。昔の人はなぜ石をつなげようと思ったのだろう。

石は人の力ではどうにもできない硬さではない。石同士を打ちつけたりすることで形を変えることができる。但し、それなりに手間がかかるものです。簡単には変えられないけれど、変形することができる素材。それが石。最初は作りたいものが明確なのではなく、創造しながら想像する。想像して創造する。その連鎖だったのではないでしょうか。

そして、首飾りの例は石の「美しさ」に魅せられていた証なのではないか、という気がしています。例えば、海岸に打ち寄せられている石が歪みのない丸みを帯びていて、思わず手にとって眺めたことがある。幾何構造の美しさを直覚させる素地(媒質)として石は機能したのではないでしょうか。

「その手触りや手応えは、道具を使用する充足感へと人間の感覚を目覚めさせていったはずだ」と著者は述べていますが、世界が変化する中で、特にデジタル技術が社会に浸透する中で「手触りや手応えが希少になっている」のではないでしょうか。

紙もまた同様である。(中略)紙は確かに文字との関わりにおいて人間の創造性を触発したはずだが、その魅力は単に印刷できる枚葉性に集約されるものではない。紙の触発力は、第一にはその「白さ」においてであり、さらにはその「張り」においてである。自然物の中で、白いものはさして多くはない、その中でも紙は抜きん出て白い。ベージュの樹皮を叩きほぐし、水中に繊維を分散させ、漉簀で掬い上げて天日に干すと、まぶしいほど白い物質が出現する。それは指で挟むとぴんと立つほどのあえかな腰をもつ。

今でこそパソコンに文書をタイピングすることが多いですが、何かを考えるときは「紙とペンが一番」だと思っています。何を書いても自由なキャンバスとしての紙。ペンを走らせるうちに何を書きたいのかが見えてくる。白は充実した余白であって、ペンを自分の直感のおもむくままに走らせる。

繊維が極限まで均一化されてツルツルとした紙。繊維を感じられるザラザラした紙。紙は何かを書く・描く対象としてだけではなく、触れる対象としても心地よさを感じます。

石も紙も「さわり心地がいい」ということが、人の想像力をかきたてたのではないだろうか。そんなことを思いました。

デザインとは「〇〇らしさ」を見極め・引き出すこと

著者は、人間の創造意欲を喚起する物質を「センスウェア/SENSEWARE」と呼んでいるそうです。ソフトウェアやハードウェアという言葉にも含まれるウェア(WARE)ですが「Manufactured articles made of a particular material.(特定の材料から製造された品物)」という意味があり、そこから転じて「〜用のもの」という意味を持ちます。

すると、SENSEWAREとは「感覚(SENSE)を引き出すもの」となり、著書がいう「人間の創造意欲を喚起する物質」と重なる部分があります。

ここで「SENSEWARE」に話が戻る。潜在力のある産業にスポットライトを当てると言っても、日本の先端繊維は安直にファッションという既存産業の仕組みに接近してはいけない。フランスやイタリアが考え出したファッションという仕組みにすり寄っていくのではなく、むしろそこから距離を置いて、新たな環境形成素材としての独自の世界を提示することこそ、先端繊維の魅力と付加価値を周知させることにつながるのである。

著者は「繊維」という媒質に注目します。繊維も天然繊維と人造繊維の二つがあります。天然繊維は綿や麻、蚕の繭など文字どおり自然界に存在する繊維。一方、人造繊維は石油を原料として作られるもので合成繊維とも言われます。

「新たな環境形成素材としての独自の世界を提示することこそ、先端繊維の魅力と付加価値を周知させる」と著者は述べています。繊維というと衣服のイメージが強いかもしれませんが、あくまでも一つの用途にすぎません。

素材はそれ自身で意味・価値が決まるのではなく、置かれた文脈の中で意味が引き出されるのだと感じます。だからこそ、繊維の可能性を引き出すためには新しい「文脈」を作る、あるいは見過していた文脈に気づく力が求められるのではないか。そのようなことを思いました。

僕の仕事は「もの」を作るというより「こと」を作ることであると普段から言い募っている。だからこういう仕事こそ本領である。デザインとは、物の本質を見極めていく技術だが、それが産業のヴィジョンに振り向けられたときには、潜在する産業の可能性を可視化できなくてはならない。

「デザインとは、物の本質を見極めていく技術」と著者は述べていますが、物の本質とは何でしょうか?本質は絶対的な真理のようなものでしょうか。

私にとって「本質」という言葉は捉えようがない言葉です。そこで、いつも「らしさ」と言い換えることにしています。そのものらしさとは何だろう。その人らしさとは何だろう。

そして、「らしさ」は唯一無二のものではなくて、本来は多様な「らしさ」がある。そして、置かれた文脈の中である「らしさ」が引き出されていく。そう考えると、デザインとは「"らしさ"を引き出すこと」と言えるのではないか。そして引き出すためには、「"らしさ"に気づく」必要がある。

「〇〇らしさって何だろう?」

大切にしたい問いがまた一つ。

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