自分の身体を緩めてゆくようにじっくり動かしてゆくと、「時間と空間の感覚をつなぐものは変化である」という気がします。
パラパラ漫画のように、ある瞬間の場面を切り取ったスナップショットが連続的に変化する過程を通じて、時間が流れているように感じる。逆に、空間的な変化に頼ることなく、時間だけが独立して流れているように感じることはできるのだろうか、という問いが浮かんできます。
自分の身体が動いていること、その変化は視覚や触覚を通して感じていますが、もしも五感を通じて空間的な変化を知覚することができないとしたら、時間の流れだけを切り取って感じることはできるのだろうか、と問われるとどうも難しいように思います。
「変化の総体としての自己(Self)」を支えるものは時間と空間の感覚であると、身体は教えてくれるように思います。