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「変化」としての時間と空間〜身体の変化・動きを通して〜

自分の身体を緩めてゆくようにじっくり動かしてゆくと、「時間と空間の感覚をつなぐものは変化である」という気がします。

パラパラ漫画のように、ある瞬間の場面を切り取ったスナップショットが連続的に変化する過程を通じて、時間が流れているように感じる。逆に、空間的な変化に頼ることなく、時間だけが独立して流れているように感じることはできるのだろうか、という問いが浮かんできます。

自分の身体が動いていること、その変化は視覚や触覚を通して感じていますが、もしも五感を通じて空間的な変化を知覚することができないとしたら、時間の流れだけを切り取って感じることはできるのだろうか、と問われるとどうも難しいように思います。

「変化の総体としての自己(Self)」を支えるものは時間と空間の感覚であると、身体は教えてくれるように思います。

生物を語る時に最も重要とされている進化と遺伝は、「細胞内にあるゲノムのはたらきで個体をつくっていく、つまり発生する」という現象の中に組み込まれているのです。生きものの基本は個体であり、個体をつくるからこそ遺伝も進化もあるというわけです。ここでもう一つ大事なことは、個体の出発点となる細胞、つまり受精卵の中にあるゲノムは、いつも必ず新しい生殖細胞二つの組み合わせで産み出されるものであり、これまでそれと同じものがこの世に存在したことは決してないということです。

中村桂子『生命誌とは何か』

このようにして、発生を基本にした自己創出系という見方をすると、唯一無二の存在としての私を中心におきながら、遺伝や進化も含み、それゆえに前に述べた長い時間と広い空間もきちんと取り込んだ考え方ができます。しかも、生命現象を創出系という切り口で見ると、個体の発生と系統の形成こそ、生きる基本であることが明確になり、生きものにとって、時間と空間の感覚が不可欠であることがはっきりと見えてきます。

中村桂子『生命誌とは何か』

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