鞘的なモノの希少性
空気がひんやりとして冷たい季節になると、薄手のタートルネックのセーターを羽織って出掛けることが多いです。タートルネックは首元まで温かい上に、身体にフィットすればスッキリと見えるところが気に入っています。
一方、食欲の秋。食べ過ぎて体型がふくらんでくると当然スッキリ見えなくなるわけです。そんな時、ふと「タートルネックは刀にとっての鞘のようなものかもしれない」と思ったのです。
鞘にスッと収まるように刀が研がれていることと、タートルネックに収まるように身体を整えることが重なるのです。人と衣服の関係を「衣服が主で人が従」と捉えてみる。衣服を自分の身の程を知るモノサシとして、自分を省みる鏡として捉えてみる。
「活人剣」という言葉にも通じます。活人剣とは人を活かす剣のこと。自分を戒める道具として剣を位置付ける。
様々な技術の発展が著しい昨今です。それらの技術は不可能を可能にし、世を変えていきます。それはある意味で切れ味の鋭い刀のような側面があるのかもしれません。そう思うと、そのような技術という刃を収める鞘のような存在も同じように必要になるのではないでしょうか。それが「教養」というもののような気がします。
鞘的なモノが希少だと感じます。自戒の念を込めて。