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組む・織る・包む〜境界自体の変化、境界を通過するものの変化〜

「生物」というシステムは膜で仕切られた単位、つまり「細胞」の集まり、細胞による「組織」として捉えることができます。

家族や社会も一つのシステムですが、呼び方の違いはあれど、同様に「組織」と捉えられます。

組織という言葉は「組む」「織る」が重なっていることから、組織の本質は「つながり」にあることが自然と感じられてきます。そして、小さな単位大きな単位で包まれている。「包む」もポイントになっています。

細胞は膜で閉じながらも開かれていて、細胞内の物質濃度を安定させながらも、細胞外物質を取捨選択して取り込みながら変化する余地を残している。

組む・織る・包む。

細胞膜は物理的に「見えるもの」で内と外が仕切られていますが、社会システムでは得てしてその境界が目に見えず曖昧です。会社でいえば〇〇部、家庭でいえば〇〇家、などで人の集まりが規定されますが、その輪郭は物理的に規定されているものではありません。

目に見えずとも境界や膜のような仕切りを見出し、感じることができる。他の動物と人間の間でもある種の「つながり」が見出されることからも、その力は人間だけに限られていません。

目に見えないがゆえに「つながり」は自由でもあり、不安定でもあり、絶えず変化する余白がある。

境界(膜)そのものの時間的な変化と、境界(膜)を通過するものの時間的な変化。「生きているものの」の特徴は、この2つの流れに注目すると見えてくるように思います。

生物は、内と外の境界が必ず存在する、あるまとまりをもった物体でもある。「あるまとまりをもつ」という点では、自動車などをはじめ、私たちが普段「物体」といっているものもみな同じである。英語では社会的な組織でさえ、普通は生物を意味する「オーガニズム」「オーガニゼーション」という言葉で呼ぶ。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

しかし、国家の場合、どこからどこまでが境界なのか厳密にはわからない。「ここからここまでが日本だ」とはいうが、日本の首相がアメリカに行った時でも、彼は日本人ではないのかといえば、やはり日本人である。つまり、社会システムは、物質的な境界がはっきりしない。一方、生物は境界が非常にはっきりしている。どこからが生物でどこからが生物でないかはすぐわかる。人間には皮膚があり、小さなバクテリアでも膜という境界面があって内と外がはっきりしている。これはどの生物についても必ずいえる。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

境界の外で起きる出来事は、完全に物理化学の法則に支配されている。境界の中で起きる出来事も物理化学の法則に支配されているが、生物の場合、その法則が、素人目には物理化学よりも少し複雑なルールをもつように見えるかもしれない。ある意味では、一般の物体よりも高次で複雑なルールをもっている点こそが、生物の特徴なのである。一見、機械も高次で複雑なルールをもっているかに思えるが、コンピュータのルールは、すべて一意に決められているにすぎない。

池田清彦『初歩から学ぶ生物学』

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