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モノ(物・霊)・コト(事・言)

今日は『匠の流儀 - 経済と技能のあいだ』(編著:松岡正剛)より「第2章 日本の経済文化の本来と将来3. 編集的日本像」から「モノの日本・コトの日本」を読みました。それでは一部を引用します。

 さきほど「サキ」という言葉の多重性について説明しましたが、じつは日本では、「モノ」「コト」という言葉も、それぞれ二つの意味をもっていました。「モノ」というのは、いまは「物」というふうに考えられていますが、古代では「霊」も「モノ」と呼ばれていたんですね。また、「コト」はいまでは「事」と考える場合が多いですが、「言葉」という字があるように、これは「言」でもあった。いまは「霊」と「物」、「言」と「事」はそれぞれ違うものと思われていますが、かつての日本人は、つねにそれらをダブルミーニングにして使っていたんです。つまり「物」は「霊」でもあり、「事」は「言」でもあった。
 このように、「霊」と「物」、「言」と「事」をいっしょに扱うところから、日本というのはいろんな価値観や文化をつくってきました。このことをまず頭に置いておいてください。
 この祭りの説明は詳しくはしませんが、いまご覧いただいた一つひとつが、「モノ」と「コト」の関係を完全に編集したアーキタイプ(母型)によってつくられています。地域によってデザインや踊り方が違っても、何かそこに共通した型のようなものがあるわけです。祭りというのは、そういうものをずっと継承しながら、毎年のように神々の物語を「もどいて」いく、すなわち再現しているんですね。

かつての日本が「モノ」と「コト」をどのように捉えていたのか。それぞれが二つの概念を内包していた。著者の言葉を借りれば、「母型」であり「分母的情報」ということになるでしょうか。

「モノ」は「物」と「霊」。「コト」は「事」と「言」。これらを組み合わせると「事物」「言霊(ことだま)」という言葉になると気付きました。

それぞれの辞書的意味を確認すると、事物は「有形的な物事、現実の具体的な事物」であり、言霊は「ことばがもっていると信じられた神秘的な霊力」とあります。

そのイメージをもって「モノゴト」という言葉を捉えなおすと「有(形)と無(形)の事象をすべてを包摂する」ような言葉という気がします。とても「母型」的な言葉です。数多の「具体」をもれなく分けることもなく捉える言葉。

言葉のルーツをたどることによって、細分化された意味が結びついてゆく。言葉の結びつきと共に、見える世界が少しずつ新鮮味を取り戻してゆくような、そんな感覚を覚えるのでした。

「分けるのではなく、包み込む」ということ。

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