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内側から破る力、外側から破る力。

物事の流れが滞っている時、そのパターンはいくつかあるように思います。

まず、流れの勢いが弱い時。

そもそも「流れない」から滞っている。

次に、流れの勢いはあるけれど、閉ざされた流路を突破するには十分でない時。

「道がない」から滞っている。

最後に、流れの勢いは十分で、進べき道も開かれているけれど、なぜか道を進まずにグルグルと循環してしまう時。

いささか不思議ですが、「流れることを拒む」から滞っている。

たとえば、人や集団が意思決定できない時というのは「流れることを拒む」ように見えることがあります。

そんな時はしっかりと膨らんだ風船に外から針で穴を開けるように、外側の助け、力を借りると、今までの滞りが嘘のように流れが生まれることがあります。

内側から自らの力で打ち破ることも重要だと思いますが、独力や自前に固執しすぎることは視野狭窄に陥りかねません。

「他者の力を借りることの大切さ」を再認識する出来事がありました。

讃歌はこの〔大地〕である。旋律は太陽である。従って、この旋律はこの讃歌の上に置かれているのである。その故に、讃歌の上に置かれた旋律が歌われる。サー(sa)は大地であり、アマ(ama)は火である。その故に、サーマン(saman「旋律」)といわれる。讃歌は空界である。旋律は風である。従って、この旋律はこの讃歌の上に置かれているのである。その故に、讃歌の上に置かれた旋律が歌われる。サーは空界であり、アマンは風である。その故に、サーマンといわれる。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

讃歌は天である。旋律は太陽である。従って、この旋律はこの讃歌の上に置かれているのである。その故に、讃歌の上に置かれた旋律が歌われる。サーは天であり、アマは太陽である。その故に、サーマンといわれる。讃歌は諸星宿である。旋律は月である。従って、この旋律はこの讃歌の上に置かれているのである。その故に、讃歌の上に置かれた旋律が歌われる。サーは諸星宿であり、アマは月である。その故に、サーマンといわれる。

岩本 裕 編訳『ウパニシャッド』

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