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崩壊寸前の逆境を跳ね返した「温かさ」とは

『情熱的な男』

みなさん、はじめまして。男澤誠です。(おざわと読みます)
株式会社スリーハイの代表取締役です。

「情熱的な男」
それは私の名刺の裏側に刻まれた言葉です。お客様にご挨拶する時は、あえてこの裏面から差し出します。なぜなら、この一言には私たちスリーハイの想いが詰まっているからです。

名刺の裏面

私たちは、タンクや缶、配管に巻いて使うことができる「シリコンラバーヒーター」を主力製品とする、横浜市都筑区の町工場です。薄くて曲げることができるシリコンラバーの特性を活かし、世界7,000社のお客様から信頼をいただいています。

よかったら、下の文章を読む前に、この動画をみてもらえるとスリーハイのことや私がやっている経営のことがよくわかります。(2024年 BSテレ東「グロースの翼」)


『技術と想いの融合』

私たちの社名「スリーハイ」には、3つの重要な意味が込められています。

  • HIGH TECH more GLOBAL:世界に通用する日本ならではの品質と技術力

  • HIGH TOUCH more HUMAN:もの・ひとを温めることのできる人間味あふれるスタッフ

  • HIGH TECH more SOCIETY:枠にとらわれない新しい製造業をつくり地域・社会を豊かに


スリーハイのロゴ
3つのカラーとコンセプト

この3つの HIGH は、父から受け継いだDNAであり、現在の経営理念の礎となっています。


『サラリーマンから経営者への転身』

大学生の頃、疲れ切って帰宅し、風呂から出た裸のままで寝ている父の姿を見て、「継ぐのはごめんだ」と強く思っていました。

1992年、希望通り通信設備工事大手の日本コムシスに入社。システムエンジニアとして、携帯電話草創期のネットワーク管理者として充実した日々を送っていました。

「毎日サーバルームに籠もって、パソコン相手に仕事しているのが楽しくてたまらなかった」当時を思い返すと、人と話すことが苦手だった自分が、今では想像もできません。


『運命の転換点』

転機は突然訪れました。父の主治医から「状態が悪く、すぐにでも入院し、治療を行う必要がある」との連絡を受けたのです。

その後、入退院を繰り返した父から「後を継いでほしい」と何度も迫られ、悩んだ末に2000年、31歳でスリーハイへの入社を決意しました。


『崩壊寸前からの再出発』

新聞報道で主要顧客の倒産を知り、売上の7~8割を依存していた取引先が無くなり、倒産の危機に直面しました。

父は「どんなことがあっても一緒に働く仲間の給料は決して減らしてはいけない」という信念を貫きました。また「仕入れ先さんの思いや技術が重なり、お客様は評価してくれているのだ」という考えが、現在の経営哲学の根幹となっています。

製品に魂を宿す

『人を価値と思う経営への転換』

この危機を乗り越えた後、父の時代のトップダウンではなく、従業員一人ひとりが主役となれる組織づくりを目指しました。

2017年には地域のハブとなる「町工場カフェDEN」をオープン。工場でありながら、地域の皆様との接点を増やし、新たな価値創造の場として育てています。

神奈川大学の学生さんによるステークホルダーエンゲージメントを高めるイベント

『温かさをつくる、が私たちのバリュー』

「ものづくり」を通じて、取引先、地域、従業員、その家族など、関わるすべての人たちを温めていきたいと考えています。

一見、この方法は非効率に思えるかもしれません。しかし、この「非効率」にこそ価値があると信じています。

スリーハイの仲間たち

『未来へつなぐ、私たちの挑戦』

日本の企業の99.7%は中小企業です。その中小企業が元気でなければ、日本の未来はありません。特に製造業は、「ものづくり」の精神を継承する重要な担い手です。

私たちスリーハイは、「温める」という事業を通じて、持続可能な社会づくりに貢献していきます。


おわりに

技術も、想いも、すべては「温かさ」につながっている。

私たちスリーハイは、この「温かさ」を未来へつないでいきます。共に未来を創る仲間を心よりお待ちしています。

よかったら、X も覗いてみてくださいね。


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