折り紙は空だ。
いや、「そら」ではない。
私にとって、その紙は「くう」な存在なのだ。
それは、ただの紙であるが、ただの紙ではない。
その紙は、折り方次第であらゆる物になり得る。
例えば、写真のような兜(かぶと)。
一枚の紙が、正しい折り方をすることで、こんなかっちょいい兜になっちゃったりするのである。
もう、それだけで只者ではない。
いくつか折っていると、それが空を表していると思えてならない。
あの、お釈迦さまがおっしゃるところの、「空」である。
「空」とは、あると思いこんでいるものが、実は存在しないこと。
むむむ、わかるようでわからない、なんとも有り難いお言葉ではないか。
例えば、私が折った兜。
それは、本当に兜といえるのだろうか。
その兜は、広げると一枚の紙に戻る。
たしかに、兜を創るための折り目は残る。
しかし、元の一枚の紙なのである。
では、この紙は、兜であろうか。
初めて見る人は、「そんなわけないだろう」と言うに違いない。
でも、つい10秒前までは、紛れもない兜だったのだ。
誰が何と言っても、そうだったのである。
そして、折り目に沿って、同じ手順で折っていけばどうだろう。
はじめに折った時よりずっと速く、かっちょいい兜が出来上がるのだ。
その姿を見れば、誰もが「あぁ、兜か」と言うだろう。
折り紙とは、何ともはかない存在ではないか。
折ってある時は兜なのに、折られていない時は兜ではないのだ。
つまり、一枚の紙は兜であり、兜ではない。
兜は一枚の紙であり、一枚の紙ではない。
それを、
「色即是空、空即是色」
こんな簡潔に表現するのだから、やはりお釈迦さまはすごい方なのだろう。
私のように、こんなにダラダラとは書かない。
でも、いいのだ。
この文を書いている時、それは私なのである。
と同時に、それは私ではないのである。
私と思っている私は、私ではないのだ。
うーん、わけが分からん。
いい感じで眠くなってきたぞ。
では、明日もうつろなこの世を、私なりに楽しむこととしよう。
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