about yuhei hamanaka
約20年前に、中野Studio twlの舞台に、二人で初めて立った。
なんだか世相を切るみたいな内容のネタだったと思う。作務衣と甚平を二人で着てやってた。人前で何かを表現するというのが、ほぼ初めてに近いものだったから、始まる前に口から心臓が出てくるような緊張を体験したことを覚えている。隣にいた濱中に、緊張を取ってもらいたくて、ちょっかいを出していたことも覚えている。彼は、緊張していたのかどうかわからない。
それから何十年と時間が経って、コンビは解散して、濱中さんはピンになって、一日だけコンビ復活で漫才をした。
2023年8月5日。「キャラメルをもう少しだけ」この公演で、濱中さんは芸人を辞めた。
去年、出張で東京に行ったときに濱中さんから辞めるという話を聞いて、じゃあラストライブは出るよ。と、言った。そして本当に出ることになった。辞めると聞いて、僕はホッとした。そのことを正直に濱中さんに伝えた。
自分があの時、笑いに誘わなければ、濱中さんはもしかしたらちゃんと就職活動をして、今頃、濱中部長なんかになっていたかもしれない。彼ならそうなってもおかしくない。なんの職種かわからんけど。
人の人生を変えといて、僕は30で芸人を先に辞めて、福井へ行ったことが、すごく心に引っかかっていた。
人の人生なのにあまりに勝手すぎる。
だから、申し訳ない気持ちもあり、毎年ネタを書いて送ったりしていた。申し訳ない気持ちでネタを送られていたっていうことへの彼の気持ちを考えると、それもそれで申し訳ない。
だから、彼が自ら辞めると決断したことは、僕にとって少し申し訳なさが薄くなることだった。
数回練習をして、本番の舞台に立った。漫才となると何年ぶりだろう。感覚を思い出せるのか不安だったが、なんとかできた。
まとまった笑い声をもらう気持ちよさ。濱中さんが出す一瞬の隙をついてボケをはくんだったなあ。そうか、この間だ。これはウケるけどこれはだめなのか。そんなことを考えながらあっという間の時間が過ぎた。
舞台の上で、自分の感覚を解放できた時間だった。
エンディングで彼は涙ながらに言ってくれた。こんな世界に誘ってくれて感謝している。申し訳ないという気持ちをもっていると言ってたけど全然思わなくていい、と。
今までの自分を赦された気持ちだった。この男を誘って良かったんだと思い、笑いをやりたいと思ってやって良かったのだし、今、違う表現の世界にいることも良かったんだなと思った。
彼の最後の公演のために東京に来たのに、自分が報われて救われるために来たような感覚があった。
新宿での別れ際。シティボーイズは70過ぎても未だにラジオでくだらないことを言ってるから、うちらも好きなことをしよう。と話して別れた。
ひとまず、お疲れさまでした。休んで、また楽しいことしましょう。