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自然に感動する心

華鹿です。

今日は田舎で暮らしはじめて感じたことを綴りたいと思います。


私が暮らす田舎は山に囲まれていて本当に自然が豊か。

耳を澄ませば鳥やカエルの鳴き声がたくさん聴こえてくるし、散歩をすれば毎日色んな植物に出くわします。

でも私、正直そんなに自然に興味がなかったんです。

確かに自然の中を歩いていれば、気持ちいいなとか、リフレッシュ出来るなとかは感じます。

引っ越すまではそんな感じで思っていたので、周りの人に

「自然が好きなんで田舎に引っ越すことになって嬉しい。」

なんて言ってました。

でもいざ引っ越してみて、蓋を開けてみるとなんと自分が浅いことか、思い知らされました。

田舎で暮らす人はちょっとした自然の移ろいによく気が付きます。

そして道端に咲いている花や植物に関しても詳しい人が多いです。

厳密にいうと好きとは違うかもしれませんが、自然が身近にあってごく当たり前に知っているという感じがします。

私はというと、

「この花は〇〇で、これは食べられる山菜なんだよ。」

と説明されても・・・

「へえ~」としか言い様がなく説明しがいのない反応しか出来ないのでした。

しかし一方、一緒にボランティア活動をしている相方の反応はまるで違っていました。

生まれて初めて世界をみた子どものように、何気ない雑草にさえ心から感動していたのです。

そのあまりにキラキラした目に、いつの間に自分はこんなに感受性を失ってしまったのかと深い闇を感じてしまった程です。

過去を振り返ってみれば、こんな私も小学生の頃は近所の山でいつも遊んでいました。

カブトムシやクワガタなんかを探したり、山の中に秘密基地を作ったり、いつも自然の中でワクワクしていた様な子どもだったのです。

今は別人のようになっていますが・・・

それはさておき、人に合わせないと思ってしまうわたくし。

相方が自然の中で喜ぶ隣で必死に同じテンションで反応しようとしていました。

当然疲れてしまいましたが笑

でも何か一つ発見する度に

「これは何ですか?^^」

と質問する相方のおかげで私もちょっとずつですが自然の細かなところに目がいく様になりました。

こんなところにこの前説明してもらった山菜があった。

運転しながら山の景色をみて今は藤の花が咲く時期なんだな。

そんなことを自然と思う様になり、日々少しずつですが自分も変わってきているんだなと実感しました。

あと印象的だったある日のこと。

「鈴の子をとりにいこう」

近所の人に誘われて山へ行くことに。

最初は鈴の子採りが出来る貴重さをわかっていませんでした。

鈴の子事自体、市場にめったに出ないものらしく、何よりこの時期この瞬間だからこそ採れるものなんだよと教えられたとき、とても貴重な経験をさせていただいているんだなとしみじみ感じました。

それからは季節の移ろいも丁寧にみつめていこうと思いました。

今このボランティアをさせてもらっている期間だからこそ自然とじっくり向き合えてるんだなと思ったら、楽しまないともったいないなとも思いました。

そして無理に感動しようとしなくても、暮らしの中に身近に自然があるから自分の中で自然の存在が大きくなっていく様に感じます。

上手く表現出来ないけど、これから先ボランティアが終わってまた仕事に就いて、忙しくしていたとしても、自然に囲まれ過ごしていたときの感覚を忘れず持っていたいな。

自然を丁寧にみつめる暮らしを大切に過ごす一年にしようと思います。

今日もお読みくださりありがとうございました。























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