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サバイバルゲームフィールドで働いていたときのこと

最近全然更新していなかったが、唐突に更新したくなったので書いてみる。
ブログや日記というのはそのくらいの気持ちでやった方が、案外続けられるものである。

今回書きたくなったことというのは、僕の以前の仕事のことだ。
仕事のことというよりは、仕事を辞めたときのこと。

今は会社に所属して毎月ちゃんと給料をもらっている僕だが、4年くらい前まではちゃんと給料を得ている状態ではなかった。
当時の僕の中では一応「仕事をしていた」ことになっているが、今になって振り返ると、少なくとも「まともな仕事」ではなかったと感じざるを得ない。

昔、サバイバルゲームフィールドのスタッフとして働いていたことがある。
土日祝の人が集まるときにフィールドを監視するゲームマスターをしながら、参加者の写真を撮ったり、節目にイベントを開催したりする。
とは言え、地方の個人がやっている(経営的に)小さなフィールド(面積は全国トップクラスだったけど)のため、就業形態としては「個人事業主からポケットマネーをもらってお手伝いする人」だ。
つまり、書類上は「無職」だった。

それでも、僕の中では「お金をもらって誰かのために何かをしている=仕事」だったため、家族や友人には堂々と「サバイバルゲームフィールドで働いている」と言っていた。
これが、関東や東海のちゃんと経営形態がしっかりしているフィールドならそれでよかったのだろうが、僕がいたフィールドは少なくとも「しっかり経営している」とは言えない状況だった。(当時は。今はどうか知らないが)

だから、平日に他でバイトをしていた。
(今の仕事は、そのバイトのうちの一つで評価され、契約社員、正社員、とランクアップしていった結果だ)

家族からしたら心配で仕方なかったと思う。
いや、家族どころか、友人や、なんと友人の家族からも心配されている状況だった。
「仕事」だと本人が言い張っているものは定まった給料が得られるものではなく、仕事だバイトだと言ってほとんど家に帰らず、借金の督促が家に届く始末。
そりゃ家族からしたら「お前なにやっとんねん」となるだろう。

何度も母と喧嘩した。「目を覚ませ」と。
祖母は言葉を選びながら「もう少しまっとうな道を歩め」と何度も言ってきた。
行きつけのたこ焼き屋さんの店主は「応援する」と言いながらも僕の将来を心配していたらしい。
小学校からの親友の家族は「まことくんは大丈夫なのか」と言っていたそうだ。

母が僕に「もう少しちゃんと自分の将来を考えろ」「ちゃんとした仕事に就け」と言ってきたときに、僕はいつも、「フィールドには僕に写真を撮って欲しい、って来てくれる人がいる。あそこが僕の居場所なんだ」と主張していた。
それは当時の僕にとっては事実だった。
ゲーム中の写真を撮って参加者に喜んでもらえてたのが嬉しかったし、「写真撮って!」と会いに来てくれる人もいた。
当時の僕にとっては、そこが本当に肯定感を得られる場所だったのだ。
大学を卒業してからずっと挫折失敗ばかりしていた(と感じていた)当時の僕にとって、自分の好きな写真やカメラのことでいろんな人から褒められたり認められたりして嬉しかったのは事実だ。
そして、その環境から離れたくなかったのだ。

フィールドスタッフやってた頃の僕

だが、あるとき、「撮ってる写真がいつも同じ場所を同じ角度で撮ってるって意見があった」「自分の写真が少ないって言ってる参加者がいた」とオーナーから言われた。
でもそれは当然だ。
フィールドは四方100m以上のかなり広いフィールドで、僕はそのフィールドをある程度見渡せる高台の上にいるのだから。
僕のいる場所に近ければカメラで撮れるが、離れた場所にいて遮蔽にでも隠れていようものなら、写真になど撮れるはずがないのだ。
実際、「写真撮って!」と言ってくる参加者はそれを知っているから高台の近くに来ていたし、僕は僕で「この辺り写真に撮りやすいよ!」ってスポットをSNSなどで伝えていた。
それに、写真については「僕がフィールドの中に入って動き回ればもっといろんな写真が撮れる。ゲームマスターをもう一人のスタッフにやらせて、僕はカメラマンをやる、二人体制にして欲しい」と常々伝えていた。
そのような経緯の中でのこの出来事だ。
的外れな意見を言ってきた参加者への憤りはもちろんだったが、その参加者の意見に対してなんの説明も弁明もしてくれなかったオーナーに対して落胆した。

そのことだけが理由ではないが、その数か月後に僕はフィールドのスタッフをやめた。
そして、そのときにやっていたバイトに「もっと稼ぎたい」とフルタイムで入るようになった結果、あれよあれよと昇進、ランクアップ。
本来なら転勤のない契約社員の立場だったが、役職付きで転勤になった。
自分でも頑張ったなあと思う。

そして、そうなった今、あの頃の、サバゲーフィールドのスタッフをやっていた頃の自分を思い返して、思うこと。
自分にとって心地よい環境から離れることは本当に勇気のいることだった。
けれど、離れてみたら意外とそこに固執していた理由は、そこまで大したものじゃなかった。
「あそこが僕の居場所だ」と主張する僕に、母は「本当にお前を認めてくれている人なら、その場所を離れたとしても認めてくれる」と言っていた。
本当にその通りだ。
本当に僕のことを認めてくれているであろう人は、フィールドスタッフではなくなった今の僕にも連絡を取ってくれるし、タイミングが合えば一緒に遊びに行ったりしてくれる。
逆に、僕がフィールドスタッフだからすり寄ってきていた人はぱったりとかかわりがなくなった。あろうことかTwitterをブロックしてきた人もいた。

だから、自分が変わらなければいけないときに、自分を甘やかしてくれる環境を飛び出せる人は本当にすごいと思う。
なかなかできることじゃない。
僕は結局、自分から飛び出したのではなく、飛び出さざるを得ない状況でやむを得ず飛び出た。
結果としてそれがよかったのだが、もっと早くに勇気を出せていれば、と思う時もある。
だが、フィールドスタッフをやっていた時間が無駄だったとは思わない。
そこで得たものはたくさんあるし、今の自分を形成している大部分でもあると思っている。
そうやって人は前に進み、進化していく。
本来はそれがもっと早い段階で行われるべきなのだろうが、僕の場合は二十代後半の遅めの時期だったのだ。

もっともっと、進化していこう。


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