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noteの記事、まさか、すべての人に読んでもらおうとなんかしていませんよね?

中山マコトです。
今日は記事と言うか、文章の書き方について話してみようと思います。
とは言っても、文章術ではありません。

noteに限らず、文章を書くというのは、結局のところ、
たったひとりの相手に対して、熱い思いを伝える手紙を書けるか?
と言う話だと思います。

これは、コピーであれ、本であれ、ブログであれ、ホームページでもランディングページでもすべて同じです。

もちろん、書いた文章をいずれお金に換えたいと思って書く場合のことで、自分しか読まない日記みたいなものや、社内公文書みたいな文章、役所の広報、はたまた、ただのひとり言でOKという場合は違いますよ。

とにかく、一人の相手に絞って書いて行った時、その人の心を、その文章が動かすことができれば、そのたった一人の背中の向こうに、同じような受け取り方をしてくれる人が沢山いる。
これをマーケットと言います。

書くという行為は、それを信じることだし、それを信じられなければ文章を書くという行為は続けられません。

僕は今、この文章を書いているけれども、この文章は昨日打ち合わせをしたHさんという女性に読んでもらいたくて書いています。
彼女は言いました。
「どうしても、沢山の人に読んでもらおうとして、テーマがぼんやりとしてしまうんです」と。
これね、別にHさんに特有の事ではなく、実は誰でもが通る道なんです。
みんなに読まれたくて、誰も読んでくれない文章になる。

まさに、敬愛する天才コピーライター、中畑貴志さんの名著、
”みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。 勝つ広告のぜんぶ”
https://books.rakuten.co.jp/rb/5934862/
そのものです。
だから僕達は絞らなくてはいけない。
この文章は「あの人に届けよう」と決めなければいけない。

「ご通行中の皆様!」
とか、
「え~、本日お集りの方々」
というフレーズは禁句、ご法度です。

僕の事を話すと、基本、文章を書く時は、あるひとりの「あなた」を頭の中に思い浮かべながら書いています。
時には、知り合いの顔写真を見ながら書く場合も有るくらいです。

これはどんな文章でも同じです。
メールの返事ですらそうです。

その、ある、「あなた」との会話、コール&レスポンスこそが文章を書くという行為だと、僕はそう考えています。
言い換えると、その「あなた」が浮かばない時、いないとき、文章は書いちゃいけない。
そうも思っています。

あらゆる文章は手紙である。
これが結論です。

手紙は不特定多数の相手に向けては書きません。
どこの誰だか分らない塊(かたまり)とか不特定多数に当てた手紙はあり得ないのです。
多くの人に読んでもらおうとしてはいけないのです。

ひとりに絞ってください。
それだけであなたの書いた文章は圧倒的な到達力を纏(まと)うはずですよ。

今日も読んでいただき、ありがとうございます。
まだまだこれからも書いていきますので、ぜひ明日もまた読んでください。

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中山マコトプロフィール。
https://note.com/makotonakayama/n/nae07da271ea6


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