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源氏物語の架空庭園
源氏物語「胡蝶」の巻より光源氏の邸宅で催された春の宴のくだりを現代語訳してみました。(岩波文庫『源氏物語㈣』p. 170)
翻訳に当たっては、岩波文庫版の注釈を参考としました。原文のままで現代文としても理解可能な表現は、できるかぎりそのままにしました。
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弥生月の二十日余りの頃、(紫の上の住まう)春の御殿のありさまは、格別な美しさの限りを尽くして匂う(照り映える)花の色、鳥の声、春ももう終わりごろなのに、ここではまだその気配もなく、見るものも聞くものもめずらしい。
(庭園の)山(築山)の木立、(広々とした池の)中島のあたり、色まさる苔のけしきなど、遠くでわずかしか見えずに、若き人々(女房/侍女たち)が、じれったく思っているだろう。こう考えて、唐風(中国風)の船を造らせ、急いで装備させて、池に初めておろす日には、音楽家たちを呼んで、舟の上で演奏させる。その日は王子たち、貴族たちが大勢あつまった。
竜頭鷁首(りょうとうげきす)の(竜の頭と空飛ぶ鷁という名の鳥の首をかたどった)中国風の屋形船を色とりどりの覆いや幕などで豪華に飾り立ててある。かじ取りの棹をさす童たちは皆、みずらを結って、中国風の衣装を着ている。風流を好む(ノリの良い)若い女房(女官)たちを乗せて、船が大きな池のただ中に乗り出すと、まことに、はるばる未知の国に来たような心地がして、あはれに面白く、女房たちは感動する。
池の中島の入り江の岩陰に船を寄せて停まり、見れば、はかなき石のたたずまいも、ただ、絵に描いたようなのだ。こなたかなた、霞み合う梢どもといえば、錦を引き広げたようである。御殿のある辺りは、はるばると見やられて、色を増したる柳が枝を垂れており、花もまた、えも言わぬ匂い(色彩と香り)をまき散らしている。春の終わりの今、他の場所では盛りを過ぎた桜も、ここだけは、今を盛りと微笑み、回廊をめぐる藤の色もこまやかに開けゆくところである。まして、池の水に影を映したる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りである。水鳥どもが、つがいを離れず遊びつつ、細き枝どもを食いて飛びちがう、その様は、鴛鴦(おしどり)の波の綾の文様を重ねる(鴛鴦が泳ぐにつれ波紋に模様を重ねる)ごとくである。
こういった全てが、着物の絵柄として描きとりたい、といった風情で、眺めていると千年の時もあっという間に過ぎ去ってしまいそうで、伝説にいう南海の蓬莱の島、とは、こういった場所なのだろうか。
春の日の、うららにさしてゆく舟は、棹の雫(しづく)も花ぞ散りける
(春の光がうららにさしてゆく、その中を棹さして行く舟。その棹のしずくが桜の花となって散るのだ)
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