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ないものをあると思っていた話
ある晩、コンタクトレンズを外そうとしたが、どうにも掴むことができなかった。指先で何度も確認するが、そこには何もない。ただ、目の中に漂うのは、空虚な視界と無意味に充血した瞳だけであった。
「今日はコンタクトをしていなかったのか…」と自分に言い聞かせたものの、心のどこかに奇妙な穴がぽっかりと開いたままになっている。確かにあると思い込んでいたものが、実は存在しなかったという事実。ふと、これは日常に潜む一つの真理を表しているのではないかと思ったのだ。
人はしばしば、心の中に「ある」と信じたいものを思い描き、それを実在するものとして扱う習性がある。あるべき愛、あるべき幸福、あるべき自分の姿。こうした「あるはずのもの」が現実に存在しているかのように錯覚し、その幻想を軸にして生きていることが多いのではないだろうか。だが、それらに手を伸ばしてみると、実際にはそこには何もなく、空虚が広がっていることもあるのだ。
この「ないものをあると思い込む」という行為は、一種の防衛機能なのだろう。人は、目の前の不安や不足感を埋めるため、無意識のうちに「ある」と信じることで安心感を得ようとするのだ。その安心感こそが、人を現実から遠ざけ、やがて深い孤独や不満を生み出してしまう。
「ないものがある」と信じる心は、時に生きる支えになるが、それは同時に人を幻想へと誘う危険な側面も持っている。幻想にすがることで、現実を直視する機会を逃してしまい、本当の自分を見失ってしまうことがあるのだ。真実を見ないまま、自分の内面を空虚な何かで満たそうとするのは、砂の城を築くようなもので、やがて波が押し寄せ、跡形もなく崩れ去るだろう。
では、我々はどのようにしてこの「ないものをあると思い込む」罠から脱するべきなのか。その答えは、自分自身と真摯に向き合い、今ある自分の姿を受け入れることでしか見出せないのではないだろうか。
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![春風誠(Makoto Harukaze)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32185169/profile_9be5da6b76d65331cadb07a445e404f9.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)