「血がが」言葉にみる賢い分析力
円安の動向が気になる。この秋は値上げラッシュになった。臨時国会で岸田首相は、急激な円安への対応を「円安メリットを生かす」と所信表明した。途上国型への経済転換かとみなされるこの発言に「子ども並みの分析・判断力」と酷評する評論家も。しかし、岸田首相の分析・判断力が低いにしても、子どもを侮ってはいけない。
メキシコに住む娘の長女が幼稚園児の頃「血がでた」を「血ががでた」としゃべっていた。幼児が毎日血を流す、物騒な地域に住んでいたわけではない。バンドエイドを貼ったり、包帯を巻くことが好きで「血ががでた」と言っては、遊びで貼ったり巻いたりしていた。母親は、スペイン語と日本語のバイリンガルだから変な間違いをするのかと心配していた。
言葉の「うんちく」が好きな人のユーチューブに「ゆる言語学ラジオ」がある。「ゆるく楽しく言語の話をする」動画。文法、語源、ことわざ、方言、部首、世界の言語とテーマは多様だ。
この番組で「血がが」問題を取り上げた回があった。「ちいさい言語学者の冒険」という本を元に、幼児がなぜ「血がが」や「蚊にに」と言うのかを論理的に説明していた。日本語には「血」「蚊」のような1音節の名詞は少なく、「が」「に」のような1音節の格助詞と組み合わせるには2音節の名詞にしたほうが正しいと幼児は判断するという話。
なじみがある1音節の「手」「目」での言い間違いがほとんどないのは、親が「お手々」「お目々」と話しかけるため。言い間違いではなく、子どもは「文法」的に賢い分析・判断をしていたのだ。