人類の忘却性を補完するために読み続ける聖書通読のプラン。これを縮めると、人類補完計画と言う、っていう話です。
けさ、今日の聖書の言葉をチェックしようと思って、オンラインの聖書サービス YouVersion のウェブ版を開いたら、なんと、サーバが落ちてる(汗)
まあ、ネットだから、あるよね、そういうこと。。。
対応にあたっているエンジニアに、神さまの助けがありますように。。。
こういうことがあると、ペーパーメディアは鉄壁だよなあ、と思う。
だって、神の言葉を自分の懐中に入れて、どこにでも持っていけて、世界とシステムの具合・不具合に関係なく、好きな場所で開いて、好きな時に読めるんだからねー。
今日の聖書の言葉。
目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。
コリントの信徒への手紙一 16:13-14 新共同訳
聖書のページをめくって、パラパラ読んでると、あー、こういう言葉、あったなあ、って、気づかされたり、ハッとしたり、ドキッとしたり、時には、言葉が目に飛び込んでくるみたいに感じることがある。
それはつまり、読んだことを、いかに忘れているか、ってことなんだろう、と思う。。。。
だって、読んだことが、いつも・つねに・たえず、自分の意識にあれば、どんなに読んでも、うん・うん・そうだね・わかってました・知ってます、っていう反応にしかならないわけで。。。
読んだハシから抜け落ちて、忘却されるからこその、読んで、えっ? あっ! ハッ! なわけだよね。
今日の聖書の言葉を、ちょっと、後ろ方向から考えてみよう。。。
何事も愛をもって行いなさい
取り組んでいる事柄や、相対している他者に、愛情を感じないとしたら、原因は、もちろん、事柄自体や他者自体にあるわけだけど。。。
そりゃ、100パー相手が悪いに決まってるじゃん!(笑)
だけれども、「愛」っていうのは、ギャップを超えて行くのが愛であるわけで。。。
だから、事柄自体や他者自体の問題・にもかかわらず・愛情をもって取り扱う、っていうアウトプットが自分に期待されるよね。。。
でも、そうならない・なれない、自分。。。
それは、自分に勇気が不足しているからなんだろうなー、と思う。
雄々しく強く生きなさい
ジェンダー格差是正の時代に、「雄々しく」(男らしく)っていう表現も、どうかなあ、と思うけど。これは、勇気を出して生きろ、ってことだよね。
自分に不足しているのは。。。勇気。。。
勇気って、狭い自己を抜け出て対象に自らを投げかけること、だと思う。
それができるには、あとさき考えず猪突猛進する蛮勇か、あるいは、確固とした信念あっての勇気か、2種類あるんじゃないかと思う。
40代ぐらいまでの自分は、ドン・キホーテ的な蛮勇だった。敵に向かって突撃あるのみ、って感じだったし。。。
50代になって振り返ってみると、よくあんなこと出来たなあ。いまなら、とても、とても、恐ろしくてできない、ってところがある。
なので、もう、蛮勇は奮えない。。。そうなると、放っておけば、狭い自分に閉じこもってしまうばかりだ。
狭い自己を抜け出て対象に自らを投げかけることができるようになるためには、確固とした世界観が必要だ、っていうことを、痛切に感じる。
信仰に基づいてしっかり立ちなさい
世界観って、信念の複合体だと思うんだけど、それがねえ。。。ぽろぽろ抜け落ちて行くんだよね。構成要素である信念たちが。。。
それは、やっぱり、人間としての忘れっぽさのせい、だと思う。
そう考えると、なんでクリスチャンって、日曜日に教会で顔を合わせて、毎週毎週、同じような歌をうたい、同じような話を聞き、同じような祈りをささげているのか。そこには、毎週そうしなきゃいけない合理的な必要があるんだ、ってことを感じる。
つまり、忘却を補完する想起(アネムネーシス)が必要なんだ。
もの忘れが最近ひどくなってきていることを、ひしひし感じるけれど。。。だからこそ、目覚めていないとね。。。
目を覚ましていなさい
なので、聖書のページを今日も開こう。人類の忘却性を補完するために読む聖書通読のプラン。これを縮めると、人類補完計画と言う。
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