アメイジング・グレイスと、自分のつまらないプライドと。。。
自分は、光のなかをあるいている、と思っていたのに、いつのまにか、闇に忍び寄られている。で、気づくと、どっぷり、闇のなか。
おい、おい、おい、どっから、この闇は、入って来たんだよ?
小一時間、ひとり反省会をする。。。
で、結論というのは、たいがい同じところに行きつく。
それは、プライドだ。。。
プライド、って、良い意味では自尊心だよね。自信をもって、ゆるぎない確信に満ちて、誇り高く生きられたら、これほど素晴らしいことはないと思うけど。。。
でも、プライドって、悪いほうにも働く。努力して積み重ねてきたこと、成し遂げてきたこと、成功してきたことへの愛着。それを、強力に自分の手に握りしめている。で、握りしめているそいつでもって、まわりの人間を、叩きのめしたくなる。。。オレはこんなにやってるんだ、おまえは、なんなんだよっ、って。。。
今日の聖書の言葉。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
エフェソの信徒への手紙 2:8 新共同訳
そして、闇は、いつも、プライドをとおって、入り込んでくる。
プライドを捨ててしまえればいいんだけど。。。捨てようと何度も思って、また実際、捨てる、って決心もするんだけど。。。気が付くと、あたまをもたげてくる。これは、死ぬまで続く戦いなのかもしれないね。
あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
天国は、プライド・ベースではなく、グレイス・ベースの世界だ。成り立ちが、根本から、ちがうのだ。
そこでは、頑張って生きたひとも、頑張れなかったひとも、ピッカピカの人生をあゆんだひとも、ダメダメだったひとも、おんなじ神の子どもたちとして、イエス・キリストの十字架と復活をとおして、父なる神のふところに、迎え入れられるんだ。
イエス・キリストがひらいてくれた、広々とした「救いの世界」には、プライドが入り込むスペースは、1ミリだって、ないはず。。。
なのに、わたしたちのプライドは邪魔をして、他人を罪に定めたり、自分を罪に定めたりして、他人も自分も、もろとも、闇に入っていこうとしてしまう。
この闇に立ち向かうには、いつだって、グレイス、恵み、が必要なんだ。
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