この複雑なストーリーの脱線も伏線も、最後の最後で全部回収される、ってことを期待し続ける。。。
きょうも「神」は、テレビに出ない。新聞に投稿しない。Twitter でつぶやかない。Instagram で顔を見せない。YouTube で語らない。。。
神は、きょうも、世界の後背にオカクレになっている。
オモテでは、神から放置されているかのように、いろんな事象が世界で起きる。起き続ける。これからも起きるだろう。
でも、神は沈黙しているわけじゃない、と思う。
神は、言いたいことのすべてを、本に書いて、世界に残してくれたのだ。
それが、聖書なんだと思う。
神がオカクレになっている世界で、神の本をひらいて、神の言葉をよむ。
なんでそれをするかというと。。。
こころの「平和」をゲットするため。。。
今日の聖書の言葉。
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
ヨハネによる福音書 16:33 新共同訳
旧約聖書を読むと、わかるのは。。。
この世界は、神が創造した世界であるにもかかわらず、神の意図から脱線し、その結果、被造物が苦難に直面する事態になっている、ということ。
新約聖書を読むと、わかるのは。。。
世界の脱線は、神の「秘められた計画」に沿ったものであり、それは何かと言うと、神は、世界の脱線をイエスによって全部回収する、ということだ。
全部回収するって。。。
ニワカには信じられないことではあるけれど。。。
じゃあ、回収された結果、どうなるのよ? というと。。。
聖書は、こう言ってる。
この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。
コロサイの信徒への手紙 1:27 新共同訳
世界がスッタモンダした挙句、最終的に、神の栄光であるイエス・キリストが人間のうちに宿ることになる。。。
そういう回収の仕方だ。
神のひとり子・神の栄光・神から出た神であるイエスが、すべての人間のうちに宿り、人間は神を宿す「生きた神殿」になる、っていう *¹。。。
スゲー壮大なビジョン。。。壮大すぎる。。。
こんなこと、さらっ、と言われても、なかなか受け止められない。。。
なので神は、神の本に、ビジョンを書いて残すことにしたんだと思う。
われわれが何度も何度もページを繰って確かめることができるように、ね。
神は、全人類をイエスのうちに含め入れることにした。イエスが「第二のアダム」と呼ばれるゆえんだ *²。
神はそのように設定したうえで、イエスの死によって、全人類の罪に完全にケリをつけ、イエスの復活によって、全人類に永遠の命をあたえた。
そのあと、現状、回収はどこまで進んでいるかと言うと。。。。
イエスが個別に、ひとりひとりのこころの戸をたたいてまわっている状況。
われわれが「はーい、どうぞ」と言って、こころをひらくと、イエスが入って来る。そして、われわれは「平和」を享受するんだ。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
ヨハネの黙示録 3:20 新共同訳
註)
*1. Cf. エフェソ 2:19-22
*2. Cf. コリント一 15:45
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