論敵たちの難点や過去の失敗といった否定的な事項を、細かい事をいちいち取り上げるようにして述べ立て非難する、ってことが、自分は本当に大好きで大好きで、たまらない。。。
いろんな宗教者たちが集まる懇親会に出席したことがある。
第一部は平和を願う祈りのとき。
クルアーンの詠唱あり、天理教のお手振りあり、日蓮宗の勤行あり、神道の御神楽あり、キリスト教の讃美歌と説教あり、という、スゲー会だった。
第二部は茶話会。
各宗教が順番に挨拶を述べたんだけど。。。
印象に残っているのが、気象神社の宮司さんのコトバ。。。
神道は「ことあげせず」を大事にしています
「ことあげせず」っていうのは、宗教上の教義をめぐる議論をしない、っていう原意から転じて、自分の意見を言い募るような議論をしない、っていう意味。
議論しちゃ、だめだよー、っていう。。。
万葉集にも「葦原の瑞穂の国は神ながら ことあげせぬ国」って詠われているんだよね。。。
現代口語に直したら
この国は、神さまのおこころによって稲が豊かに実り、栄えている国だから、神さまのおこころを、あるがままに受け止めることが大切、なので、議論は一切しないんだよ、わかったね?
っていう感じかねー。
今日の聖書の言葉。
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
テモテへの手紙二 2:15 新共同訳
なんで「ことあげせず」を思い出したか、って言うと、今日の聖書の言葉の直前で、このように言われているからなんだ *。
言葉をあげつらわないようにと
神の御前で厳かに命じなさい
そのようなことは、何の役にも立たず
聞く者を破滅させるのです
言葉をあげつらってはだめだよー、っていう。。。
どうしてかと言うと、あげつらっても、役に立たないどころか、聞くひとを破滅させてしまうから。。。
破滅させる。。。なんてオソロシイ。。。
あげつらう、って、どういうことなんだろう?
【あげつらう】「論じる」「議論する」あるいは「言い立てる」「とやかく言う」といった意味合いで用いられる表現。とりわけ、難点や過去の失敗といった否定的な事項を、細かい事をいちいち取り上げるようにして述べ立て非難するというような意味合いで用いられることが多い(by 実用日本語表現辞典)
簡単に言うと、相手をやり込めてやろうという意図をもって、細かいことをじくじく掘り出すように批判する、みたいな議論のやり方だね。
自分、そういう議論、やってたよなー。。。
やってた当時は、エミール・ブルンナーとカール・バルトの議論を引き合いに出して、だから、自分がやってるのも「論争的な神学」だ、なんて正当化しようとしていたけれど。。。
恥じるところのない働き手
真理の言葉を正しく伝える者となるように
努めなさい
福音を伝えるために、恥じるところのない働き手となるよう、努力しなさい、って今日の聖書の言葉は勧めている。
じゃあ、恥じるところのない働き手であるための最低要件は何だろう?
それは当然、「言葉をあげつらわない」ってことになるよね。
ICFでのハリポタ論争。富井健さんとの再建主義論争。クリスチャントゥデイ論争。。。
論敵たちの難点や過去の失敗といった否定的な事項を、細かい事をいちいち取り上げるようにして述べ立て非難する、ってことが、自分は本当に大好きで大好きでたまらないんだけれど。。。
でも、それをやると、福音が福音じゃなくなっちゃうんだよね。。。
なので、ディベートという伝家の宝刀を、永遠にサヤに収める。
そうして、気象神社の宮司さんのフレーズを、ありがたく頂戴しよう。
福音は「ことあげせず」を大事にしています
註)
* Cf. テモテ二 2:14
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