世界は神で出来ている!
世界は他人で出来ている。
けれど、自分の知り合いの・知り合いの・知り合いの・知り合いの・知り合いの・知り合い、っていうふうに、知り合いを6回たどって行くと、世界中の誰とでもつながってしまう、という「6次の隔たり」 という仮説があるんだ *¹。
でも、ほんとは6回以下で誰とでもつながれてしまうみたい。
2011年にFacebookとミラノ大学が行った共同研究では、世界中のFacebookユーザーから任意に選んだ2人を隔てる「知り合い」の人数は、なんと平均4.74人だったんだって。
だから、さ、世界の裏側みたいな町で偶然すれちがった、ぜーんぜん知らない他人であっても、自分の知り合いから出発して6回以下でつながれてしまう可能性があるわけで。。。
だから、言い換えよう。
世界は知り合いで出来ている!
だけど、ね、「絶対」という言葉も、ある。絶対って、比較対象を絶つ、っていう意味なんだよね。
よく神のことを絶対他者って言うけど、それって、神はいかなる比較対象も断ち切った存在、つまり、だれとも、どのようにも、いかようにも、つながり得ない存在。永遠に知り合うことが不可能。それが絶対他者、神ってことになるんだ。
今日の聖書の言葉。
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
テモテへの手紙一 2:5 新共同訳
だから「仲介者」であるイエス・キリストが必要になるわけなんだねー。
絶対ではなく相対的な存在。。。われわれと同じ身長・体重・こころ・生活・経験をもったひとりの「人間」としての存在。。。イエスは神であるのにそういう人間になった、と新約聖書は言っている *²。
キリストは、神の身分でありながら
神と等しい者であることに固執しようとは思わず
かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり
人間と同じ者になられました
なので、われわれはイエスにつながっていて、イエスは神につながっていて、だから、われわれはイエスを介して神につながっていることになる。
これは、自分の知り合い(イエス)の知り合いが神、ってこと。6次の隔たりじゃなく、2次の隔たりだ。
そのイエスは、さらに、すごいことを言っている*³。
父よ、あなたがわたしの内におられ
わたしがあなたの内にいるように
すべての人を一つにしてください
彼らもわたしたちの内にいるようにしてください
イエスと父なる神とは1次の隔たりの関係よりも、もっと近い関係。それは「ひとつ」の関係であるわけなんだけど。このとおり *⁴。
わたしと父とは一つである
イエスは、その「ひとつ」のレベルの関係に、われわれを与らせてくれる、と言うんだ。
彼らもわたしたちの内にいるようにしてください
イエスを介して、われわれが父なる神と「ひとつ」の関係に入る。ひとつ、だから、知り合いの媒介数は1次どころか0次になっちゃうわけだけど。
それは、ハートとハートがダイレクトにつながってしまう関係だ *⁵。
なので、三度目にこう言い換えよう。
世界は神で出来ている!
註)
*1. Wikipedia「六次の隔たり」
*2. Cf. フィリピ 2:6-7
*3. Cf. ヨハネ 17:21
*4. Cf. ヨハネ 10:30
*5. Cf. コリント一 6:17
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