賢い人と、愚かな人。その違いは何? っていう話です。
一緒に居て話をしていると、すっごく安心感をおぼえるひとと。。。
一緒に居て話をしていると、どんどん不安になって、だいじょうぶか? って思ってしまうひと。。。
いるよねー。。。
なんなんだろう。この違いって。。。
今日の聖書の言葉。
知恵ある者と共に歩けば知恵を得
愚か者と交われば災いに遭う。
箴言 13:20 新共同訳
こいつ、あぶねーなー、ちょっと距離を置こう、と思えるようなひとのことを、聖書は端的に「愚か者」って言ってるわけなんだけど。。。
でも、まあ、このひと愚か者って思われてるんじゃないかな? って他人の心配をするより、まず自分の心配をしたほうがいいよね。。。
なんか、自分、確実にそう思われている気がしてるし。。。
というか、はい、そのように思われ、また、そのように言われて来ました。。。いまもそう言っているひとがいます。。。だれとは申しません。。。
そういう愚か者の対極に位置するのが「知恵ある者」だ。あこがれる。。。
知恵ある者、って、どういうのなんだろうね?
聖書には、人間の役割の類型として、王・祭司・預言者・律法学者というタイプが出て来る。
王は、コミュニティーを外敵や災忌から守るために先頭で戦うひと。
祭司は、コミュニティーの精神的なセンターである神殿を運営するひと。
預言者は、コミュニティーの在り方を是正するメッセージを語るひと。
律法学者は、コミュニティーのルールの解釈・適用・遵守をするひと。
これら、王・祭司・預言者・律法学者は、基本的には「神」から委託された内容をどこまで忠実にまもれるか、という点で評価される。
ところがねー。。。
王・祭司・預言者・律法学者の役割類型だけでは埋められないスキマがコミュニテイーのなかに生じて来たんだ。たとえば、こういうスキマ。。。
乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば
いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。
箴言 17:1 新共同訳
なんだろうね。。。王・祭司・預言者・律法学者のお出ましを願うほどではないんだけれど、でも、生きて行く上で必要なアドバイスをちょっとお願いしたいです、みたいなスキマ。。。
これはまあ、コミュニティーの繁栄と拡大につれて不可避的に生じるスキマなんだろうなあと思うんだけど。。。
で、そのスキマ需要に応じて誕生したのが「賢人」という役割類型だと思う。
王は、神から授けられた権威を根拠に行動し
祭司は、神が定めた祭儀を根拠に行動し
預言者は、神から来たインスピレーションを根拠に行動し
律法学者は、神から来たテキストを根拠に行動するわけなんだけど。。。
賢人の場合にはそういう根拠は、ない。権威・祭儀・インスピレーション・テキストを根拠に行動するひとは、既存枠でもう十分だから。
じゃあ、賢人たちは何を根拠に発言したかというと、知恵によって語った、ということになるんだ。
で、知恵を授かるルートと言うのがすごくて。。。
賢人たちの説明によれば、神は天地の創造に先立って、まず知恵を造った。
主は、その道の初めにわたし(知恵)を造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
箴言 8:22 新共同訳
そして、神は知恵を使って世界を創造した、と観るんだ。
主の知恵によって地の基は据えられ
主の英知によって天は設けられた。
箴言 3:19 新共同訳
そういう神の知恵からオレたちは直に知恵を授かっている、というのが賢人たちの主張だった。
知恵を授けるのは主。
主の口は知識と英知を与える。
箴言 2:6 新共同訳
よく考えたら、これって、すごいよね!
だって、あらゆる既存の権威・祭儀・インスピレーション・テキストを迂回して、ダイレクトに神から知恵を授けられる、って言うわけだからさ。。。
福音書のイエスの姿を見ると、イエスのキャラクターって、見ようによっては「王」にも「祭司」にも「預言者」にも「律法学者」にも見える。すべての類型がイエスのなかに見て取れるんだ。
でも、それだけじゃあない。「賢人」の姿もイエスのなかに確かにあるよなー、って思う。
それを強く感じるのは、イエスの言葉尻をとらえて叩こうとして来たひとたちに対し、イエスが機知に富んだ言葉を瞬間的に返す場面だ。
イエスの返しっぷりは、ほんと、見事と言うほかない。イエスに返されて二の句を告げないひとたちのこういう顔を想像してしまう。
( ゚д゚)ポカーン
そういう神の知恵のさらにすごいところがあって。。。
それはね。。。知恵は求めさえすれば万人に与えられる、ってこと。だれでも、どんなひとでも、求めればゲットできるんだ。
知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。
獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え
はしためを町の高い所に遣わして
呼びかけさせた。
「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」
箴言 9:1-4 新共同訳
そして、神から知恵を授けられたひとは、自分のことをけっして知恵ある人間だとは思いこまない、ってこと。知恵のしるしは、へりくだり、なのだ。
自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。
箴言 3:7 新共同訳
これって、究極のアイロニーだよね。。。
それはつまり「自分は愚か者です」って言っている静かなひとが、じつは、とんでもない賢人であり、逆に、おまえらみんなバカじゃん、って言っている頭の切れそうなひとが、じつはとんでもない愚か者だ、っていうことが、あり得るってことだもん。
いろいろ考えてみると、オレ、やっぱり愚か者なのかもしれん。。。
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