決まりを破ってはイケナイよ、から、 自分をわきまえなさい、を経ての、神がいるから、まで。
むかーし、ギリシャに神託を告げる洞窟があって、その入り口に三つの言葉が記されていたんだって。
ひとつめは、メーデン・アガン。決まりを破ってはイケナイよ。
ふたつめは、グノーシ・サウトン。自分をわきまえなさい。
みっつめは、ス・エイ。あなた(神)がいるから。
わかったような、わからないような、謎の言葉だけど。。。
自分的にはこう考えてみた。
決まりを破ってはイケナイよ、って言われる(メーデン・アガン)
ああ、はい、そうですか、わかりました、って答える。
で、決まりを破らないように努力してみる。
ところが、やればやるほど失敗して、決まりを破ってしまう自分がいる。
えー、なんなの、自分? ダメダメじゃん、ってなる。
結果、自分を知れば知るほど、みじめになっていく(グノーシ・サウトン)
そのようにして、最終的に行きつくところは、「神さま、助けて!」って、なる(ス・エイ)
今日の聖書の言葉。
すべてに耳を傾けて得た結論。 「神を畏れ、その戒めを守れ。」 これこそ、人間のすべて。
コヘレトの言葉 12:13 新共同訳
「ひと」として、どのように生きるべきか、ということの教え・アドバイス・ルール・決まり・罰を伴う命令が、聖書にいーっぱい書いてある。
そのいーっぱいを要約すると、2つの掟になる、とされている。
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
マタイによる福音書 22:37-40 新共同訳
そう言われているから、じゃあ、やってみよう、ってなるじゃん。
で、やってみるじゃん。
ところが、心は散漫で、精神は揺れて、思いは続かなくて、神を愛することが、できない。。。
ダメじゃん、自分。。。
さらに、自分を愛して・自分を愛して・もっと自分を愛せるんだけど、隣人はどうしても愛せない。。。
ダメじゃん、自分。。。
なので、最終的に行きつくところは、いつも、これ。
神さま、助けて!
自分がどうしようもなく無力であると認めるとき、はじめて、神は神であると認めることができるのかもしれないねー。
神に呼びかけ、救いを待つ。すると、神は応えてくれる。
こういう言葉でもって。。。
神は
その独り子をお与えになったほどに
世を愛された
独り子を信じる者が一人も滅びないで
永遠の命を得るためである *¹
口でイエスは主であると公に言い表し
心で神がイエスを死者の中から
復活させられたと信じるなら
あなたは救われるからです *²
事実、あなたがたは、恵みにより
信仰によって救われました
このことは、自らの力によるのではなく
神の賜物です *³
神からの言葉を聞いて、受け取るとき、自分は思う。ああ、ダメダメだけど、生きてていいんだなあ、って。
なので、よしっ、今日も生きよう、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛してみよう、って、なる。
そのときの「主語」は、もう自分からキリストにシフトチェンジしている。
生きているのは、もはやわたしではありません
キリストがわたしの内に生きておられるのです *³
註)
*1. Cf. ヨハネ 3:16
*2. Cf. ローマ 10:9
*3. Cf. ガラテヤ 2:20
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