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やりたくないこと、できないこと。

 まずは最初に言っておきます。

福祉・介護職は何でも屋ではありません。

 利用者に関することであれば、できる限り支援をしていきたいとは思っています。だけど、できないことや、やりたくないことがあるのも確かです。

 思いつくままに書いてみます。(個人的に)

1.利用者本人以外から、指示された援助
2.本人が同席していない中での、決定。
3.本人にウソをつく。無視をする。
4.援助者の都合のいい支援
5.相談員(支援員)として本来やらなくていい支援を他の専門職から指示される。
6.請求の改ざん
7.利用者が分かっていない支援
8.利用者が知るべき情報を教えていないこと

 福祉職としては「倫理綱領」「行動規範」があり、「こうあるべき」と載っていて、安心して支援ができているはず。そればかりにこだわっていては仕事ができないことも分かっています。ただ、疑問を持ちながら行なっていることがあるのも確かです。
 では、「やってはいけないこと」をすることは、支援者にとってどんな意味があるだろうか。

 本人のためにしている

 ここまでしないと本人が困る

 他の職員の負担を軽減させたい

 というのは、言い訳かもしれない。だけど、実際には僕はそうだった。どこかで「自分のしていることは正しいこと」と思ってしまっている。本人や支援者の負担(心配事?)を減らしたいと思い、良かれと思っている。
 もしかしたら、自分のしている支援に自信がないのかもしれない。心のどこかで「今、していることは『福祉』ではない」と思っているのか。また、自分でない『誰か』がしていると言い聞かせているのか。
 でも、紛れもなく自分で考えてやっていることには違いないんだけどね。

 ただ「やりたくないこと」と言っても、やらないといけないこともある。嘘をつくわけではないにしても、専門職の役割ということもある。
 「本人のせい」だけでもない、「支援者のせい」だけでもない。2つの微妙の重なりによって、出来なくなっていることもある。

 僕も自分の支援が本当に正しいのかは、はっきり言って自信がありません。「福祉」の名のもとに、利用者の生活を土足で入り、「やりたくないこと」を強制させている。「できるかどうか」は問題ではない。ただ、できることに対して「自信を持たせる」ほうに重点を置いているのかもしれない。
 そして、利用者は「できないことはない」という暗示をかけられているのかもしれない。

 福祉職含めての「専門職」には、自分の仕事と役割には自信を持っている。だから、他の専門職の支援には尊敬していると思っています。だけど、何だか気になる支援がある。

 でも、言えない。

 さっきも言ったように専門職としての支援に口を出したくない。 

できない理由

支援をしたくてもできない、そんな葛藤もあります。

なんだろうね。

やってはいけないこともある。

本人の状態によって、金銭的によって、家族の状態によって、「できない」というか「できなくなっている」。

これ以上すると他の専門職の領域になってしまう

これ以上、関わると抜け出せなくなる

本人のためにならない

本人のわがままに付き合ってはいられない

 避けているわけではない(と思ってはいる)が、それぞれの職務にプライドがあるので、関われない。
 「できない」と言うことで、本人の力を引き出そうとしているという見方もできるけれど、本人に関わっている関係者に迷惑がかかるかもしれない。
 まぁ、後になって大きな問題になって飛んできたこともありますが。

 「福祉のしごと」「〇〇のしごと」と気にしすぎていると、「できないこと」「できること」の範囲が膨らんでしまい、境界線がますます曖昧になりそうです。

「生活」に関わることの難しさ

 支援をしていくからには、生活に関わらずにはいられない。どんな暮らしをしているのか。
 暮らしを見ることで、支援計画に活かそうとする。だけど、関係ないことまで聞いてはいないだろうか。いわゆる「個人情報の侵害」にならないだろうか。
 僕は、できれば必要最低限の情報だけにしたい。
 知ることで「支援したつもり」になることも嫌だし、必ず良い方向に行くわけでもない、とも思っています。
 また、いくら「生活」に関わっているのしても、全てがわかるはずはない。そこを「あたかも知っているかのように」聞かれても「分からないものは分からない」「できないことはできない」んです。

 最後に、人と関わる以上「知る」ことが大事なの承知しています。そして、知ったからこそ「できないこと」「やれないこと」を支援者・利用者双方とも理解しなければならないと思っています。

 ちょっと愚痴っぽくなってしまってすみませんでした。

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