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介護する家族
以前は「介護」は家族の問題でした。介護が必要になれば、家族が介護することに抵抗は少なかったかもしれません。ですが、時代は変わり、介護保険制度ができ、障害者総合支援法ができ、「介護」は家族だけでなく、社会の問題になっています。
だからこそ、「家族が介護する」ことを考えてみたいと思い、このコラムを書くことにしました。だけど、考えがまとまらなかったら、すみません。
さて、「自宅で介護する」ことは、本人にとっては、安心できることではあるけれど、葛藤があると思う。お互いに長く共に生活をしていたから「こうしてほしいんじゃないか」と思っていると、なかなか思いが合わなくてイライラする。そして、機能低下していく家族を見て「やってあげないといけない」と思っているけれど、その思いに応えようとすればするほど、介護の奥深さと「永遠性」を知ることになる。福祉サービスを使うことで、解決できることもあるが、関わりの難しさも分かってくる。
身体介護をする時には、「家族だから」してほしいこと、してほしくないことがあると思う。例えば、排泄介護は、介護職員であっても負担が大きいものです。身体介護は「直接身体に触れる行為」が多く、触れるからこそ、過去との違いに戸惑ってしまうこともあるのではないか。また、生活支援をしていくとしても「プライバシー」のことが気になる。家族だから、気にしなくてもいいんじゃないの?ではない。
自宅での介護では関わる時間が長くなると、「慣れ」と同時に「変化」に鈍感になる。「これでいいんじゃないの」と思っても、年齢と共に本人の変化を感じる。対応するために、介護の方法を向上させたとしても、変化に家族が対応できて、追いつけるかは分からない。
また、介護保険制度では、通院は「同居家族がいる場合は、家族で対応してください」と言われることが多い。被介護者の日々の様子や変化を分かっている(はずだ)から、主治医に対してもいろいろ聞くことができるし、主治医も本人の症状を家族に伝えることができ、安心できると思う。
ただ、家族だから『本人の症状や体調をよく把握しているわけでもない』こともある。それは、①同居家族自体が、本人の体調や変化に興味がない。仕事をしていることも関係しているとは思いますが、本人との関わりが薄い。②本人が、通院のことや、服薬のことを、同居家族に言っておらず、自己管理をしていることもある。本人は「自分はできている」と思っているから、家族には知らせていない。だけど、自己管理がしっかりできていると言えども、ちょっとした物忘れがあり、薬を飲まなかったり、多く飲んでしまったりして、体調を崩す。
その2つの状況があったりで、主治医から、最近の様子や「薬は何を飲んでいますか」と聞かれても答えられない。それから、本人のことを把握しようとしても「家族でも知らなかったこと」に悩まされる。
じゃあ「家族は何でも知らないといけない」ではないけどね。
家族介護は労働なのか?
家族は介護をしなくてはいけないのか?
どんなスタンスで介護に向かっているのか。被介護者が家族の中でそんな立場なのかによっても変わるとは思いますが、時間とお金を使う行為です。「生活の一部」とみるか「介護という労働」とみるか。
このことは、色んな意見が分かれてくると思いますが、僕個人としては、慰労金ではなくても、金銭的な支援としての「控除」「減免」があれば良いなと思っています。
介護することが家族に与える影響は何だろうか
よく家族介護の話題になると「よくやってるねぇ」という話になることが多い。要するに「他人の家の話」である。どんなに頑張って本人の世話をしていても、家の外には介護の実態は分からない。
そして、本人は「介護を受けている」ことが近所にばれたくないから、ヘルパー利用を拒否してしまうこともある。
「我慢強い」家族と、「わがままな」本人
「家族だから」どこまでできるのか。
「家族だから」何でも言えるのだろうか。
家族は、変化していくものだと、みんな分かっているはずなのに、どこかで「受け入れる覚悟」が必要になる。
話し合える家族、話し合って歩んでいける家族、支え合っていける家族には何が必要なのかを、問い続けていくものだと思います。
うまく書けなくて、すみません。
でも、考えていくことで、次に進めるはずです。