バリアフリーを考える
「段差をなくしましょう」
「手すりをつけましょう」
多分、こう思っている方は多いのかなと思います。
ただ、バリアフリーの範囲はもっと広いし、
「これぞバリアフリー」と言えるものにするには、細かい基準がある。
物理的バリアフリー ・・・ハード面(建築)でのバリアフリー
社会的バリアフリー ・・・使いやすい制度
心理的(精神的)バリアフリー ・・・いわゆる「こころのバリアフリー」、だれにでも平等な社会を などなど
バリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)で色んな基準がある。
どこでどんなバリアフリー化を勧めているかも載っているが、
①延べ床面積 2000㎡以上
②特別特定建築物、特定建築物 がある。(2020年2月時点)
特別がついていると、高齢者や障がい者が利用することの多い建築物ということです。下記のPDFを参照してみてくださいね。
②特別特定建築物というのは、22の施設。
「ここはバリアフリーってことが良く分かる」というところ
例えば、病院、駅、学校、老人ホーム などと
「えっ、ここがバリアフリーされているのはあまり見たことなない」っていうところ
例えば、公衆浴場、公共駐車場、映画館、展示場 などがある。
ちゃんとバリアフリーされているか、する気があるのは何とも言えません。
でも、どこでもバリア無くせば良いというわけでもないと思っています。
例えば、点字ブロックが、目の不自由な方の移動のために設置されていますが、逆に、車いすの利用者にとっては、ブロックの凹凸が段差にだってなりうる。
また、高齢者にとっては、段差をなくすことで、すり足での移動により、脚の上げ下げが少なくなり、筋力の低下ということもあり得ます。
あっ、それと建築物をバリアフリー化するかは「設置者」が判断するようになっているし、公共の場(例えば、道路)のバリアフリー化は「市町村」が決めることになっています。だから、点字ブロックがぶっつり切れているときがある。
うーん、「バリア」「障壁」。
最初に「バリア」を作ったのは誰なんだろう。
健常者がバリアをつくって、障がい者がバリアに振り回されているような気がします。また、「バリア」に気を遣いすぎて、なんだか本質がずれているようなときもある。
生活にどれだけバリアがあるかを「バリアフリー」という言葉が教えてくれているような気がしています。また、人それぞれに個性があると同じく「バリア」があるし、生活をしている以上「バリア」は生まれてきてしまうものだと思っています。
その中で、どれだけ「人の生活」を考えられるかが重要だと思います。
結局、バリアフリーは人がどうするかを決めないといけないのかなぁ。