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「私の地元は・・・」ていう言葉がなくなる日

東京の人口が1,400万人超え、9人に1人が東京在住だという。

それでなくても人口減少の折、その結果何が起こるのか?
地方から人がいなくなるんだろう。

2050年には全国744の自治体が「消滅可能性自治体」になるらしい。

「まちが消滅する」

SFみたいで、考えただけで恐ろしい。

ちなみに何をもって消滅可能性かというと、
20~30歳代の女性人口が半減する自治体を「消滅リスク」があると定義しているらしい。

そのことで思い出すのが、先週末のあるテレビ番組に出ていた年配のコメンテータが述べたコメントで、
「私の地元の秋田でも雪がちらつき始めて・・・」
そう彼は言った。

「私の地元」
きっとその年配のコメンテータは秋田のそのまちで生まれ育ったのだろうが、長くメディア関係の仕事をしている彼はおそらくその「地元」には住んでいない。
引退後、余生を地元で過ごすということでUターンすることもあるかもしれないが、十に一つもないんじゃないだろうかと思う。

そうなってくるとその地元の秋田にいるであろう親戚縁者が家を継ぐのであろうが、これから先、2代、3代と兄弟の誰かが家を継いで、身内の「地元」を守ってくれる可能性はどれくらいあるのだろうか。

昔と違い、子沢山の家庭は地方であってもそんなに多くないだろう。
地元にいても、この地方経済の冷え込みにあって、どれくらいの若者がその土地に根付いてくれるだろう。

例えば僕の場合、地元と言える土地は大阪府守口市だった。
そこで生まれ育ったという訳ではないが、父の地元でもあったので両親(僕にとっての祖母)の家もあり、父の兄弟姉妹も多くが近所に家を構えていた。
しかし、祖父が亡くなり、祖母が亡くなり、父とその兄弟にとっての「実家」が消滅した時点で、まず親戚が集まる場所がなくなった。
僕の場合は、まだ父母が暮らす実家(と呼べるかどうかは疑わしい、何故ならその家は僕が社会人になって独立してから両親が引っ越した家なので、僕にとっては何の思い入れもない家だから)があるうちは、
数年ごとに孫を連れて帰省したり、大阪に出張の折には顔を出すこともあったが、
父母が亡くなってからはその家も処分して、完全に守口とは縁が切れた。

少年時代から青年期を過ごした町なので、懐かしさに訪れない理由もないわけではないがないが、「帰る場所」は少なくとも無くなった。
実際、最後に母親を見送ってから3年、地元には足を踏み入れていない。

さほど田舎でもない、大阪のベッドタウンと言ってもよい街が実家でもこの有り様なのだから、ましてやそれが人口減少で過疎化している地方だったらどうだろうか?

僕の相方の実家は新潟上越市に合併された山村地区のまちとも呼べない土地で、今はお義母さんが一人で暮らしている。
相方には姉妹が2人いるが、いずれも実家を出て東京都内で暮らしている。
お義母さんの嫁ぎ先の(つまり義父の)兄弟も地元にいた人は他界してしまい、親戚縁者の家もないため、やがて「新潟の実家」もなくなる運命にある。

東京集中以外にも、横浜、大阪、名古屋、福岡など大都市圏への移住も含めると、本当に地方は地盤沈下してしまうんじゃないだろうか。

これはもはや政治があの手この手を使って経済界も動かしつつ本気で対策を打っていかなければいけない重要案件ではないか。
地方に金だけをいくらばらまいて、誰も使わない立派なハコモノを作っても、都会から人は出ていかない。

「私の地元は・・・」という言葉がなくならなる日を迎えないように。

<了>


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