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視覚イメージは言葉よりも強いんだな

今日の午後、自宅最寄り駅前広場で揃いのトレーナーとジャンパーを着た人たちが街宣運動っていうのかな?演説をしてチラシを撒いていた。

選挙のシーズンではないけれど、この駅前広場ではよく政治団体の方々が演説をしてチラシをばら撒いている。

きっとこれもその手の人たちだろうと思ったが、いつもと様子が違ったのが
のぼり旗の隣ではためく何枚もの日章旗だった。

その団体や政党の名前やロゴをあしらったのぼりが掲げられているので、
あぁ今日は◯◯党の人たちなんだな、と判るところだが、今日の団体は日章旗をこれでもかとばかりメインに出していた(ように見えた)ので、それ以外のものが目に入ってこずに、結局どこの団体か認知できないなまま前を通り過ぎようとした。

その時、演説の音声が耳に入ってくる。
どうやら、数年前のパンデミックの際に厚労省と政権がコロナワクチン接種を強力に推進していたその政策と、その後のコロナワクチンの副反応と思われる健康被害などへ対する対応の不備を問うものだった。

演説で言っていることは、十分にシンパシーを感じるものだったし同調できるものだった。
本来であれば、足を止めて話を聞いても良い内容だったのだけれど、
いかんせん日章旗がはためくその風景を見ると、とても足を止めたり近寄ったりする気にはならなかった。

どうも、日章旗というとガチガチの右の人たちのイメージ、それもあまり良くないイメージが強くあるため、顔をしかめて通り過ぎたくなるような印象を個人的には持っている。

団体の皆さんのユニフォームは明るい色で統一されたもので、おそらくその団体(政党?)のカラーだろうし(しかし記憶にはなかった)、
通行人にチラシを配っている人達も女性を中心に柔らかい印象で、そんなに怖い雰囲気はなかったのだけど。
演説のトーンも大声でアジるような感じでもなく、いたって柔らかい言葉で話をされていて、その内容も決しておかしなことを言っている訳でもない。

だけど、とにかく日章旗が強すぎて、とてもじゃないけれどお近づきにはなりたくないという、近寄ったらダメだぞ、という感じがしてチラシも手に取らなかった。

言霊という言葉があるように、口に出してなにかを言うというのはコミュニケーションとしてはとても重要なものなはずだけれど、
今日ばかりはその言葉も軽く吹っ飛んでしまうくらいの視覚イメージが(自分にとっては)全て台無しにしていた。

視覚イメージは言葉よりも強いんだな、と思った日でした。

<了>

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