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東京藝大校歌再生活動の記事を読んでほっこりと感動した
こんにちは、makoto です。
先週の新聞でほっこりとした記事があったのでnoteしておきます。
それは、2022年11月17日(木) 東京新聞朝刊版に掲載されていた
「東京芸大にはなぜ校歌がないんだろう 90年の時超え再生」
という記事です。
東京芸大は前身が東京音楽学校と東京美術学校が1949年に統合して出来た日本を代表する芸術専門大学です。
名だたる音楽家も多く輩出していますが(やっぱり僕にとっては坂本龍一さんですね!)、それにも関わらず、なんと!校歌がないそうです。
昨年、美術学部3年の高田さんという方が授業の課題で芸大の歴史を調べていたところ、何故だか理由は分からなかったそうですが、さらに調べていくと、もう1つの前身である東京美術学校には校歌があり、同学校OBの詩人が歌詞を書いた1930年頃に作られたと思しき歌詞とメロディが書かれた譜面が見つかったそうです。
しかし、1949年に美術学校と音楽学校が統合されたタイミングで校歌はなくなったようです。
残された当時の校歌の歌詞に感銘を受けた高田さんは、まずは自身でアレンジをし、声楽家の同期に歌ってもらった音源を課題として発表し、さらに同期の2020年入学の学生にも呼び掛けたところ、3日間で80名も賛同者が集まり、「芸大生の手で創造的に再生したい」と
「藝大校歌再生活動」というプロジェクトを立ち上げます。
集まったメンバーはみな芸術(音楽)が専門の学生達なので、オーケストラのアレンジや演奏収録も学生達だけで行ったそうです。
元々の歌詞が美術学校の校歌だったので、
「美術に生くる吾ら」という歌詞を「藝術に生くる吾ら」に作詞をされた方の親族に許諾をもらい変更した以外は、楽譜をベースに再現したとのこと。
ちょうど、この活動の中心になった高田さん達が入学されたのは2020年ということなので、コロナ禍とともに学校生活があったと言っていいでしょう。
大学1-2年といえば、今後の人生にも影響のある大事な友人関係を作る時期でもありますが、そんな時にコロナ禍でほとんど学校にも行けなかったことには色んな想いがあるだろうなと思います。
うちの長男は2019年大学入学なので、かろうじて最初の1年は学校に通うことが出来ましたが、それでも2年次からはかなり辛い時期だったようです。
次男もコロナ禍の開始とともに高校入学したので、青春ど真ん中がマスク生活でとても不憫です。
記事によると、プロジェクト発起人の高田さんは、なかなかキャンパスに行けない時期が長かったが、この活動で同期と交流を深める機会ができたということ、そして
「みんなの想いが音色や歌声に乗って結晶になった。90年の時を超えて、先輩たちとつながれたことがうれしい」
とも語られていたそうです。
この取り組みは一度演奏して終わりにするのではなく、卒業生たちに音源を聞いてもらい、プロジェクトのホームページでも公開されていくそうです。来年にはホールでの公開演奏も予定されているとのこと。
なんともほっこりする、とても胸に響く素晴らしい話です。
発起人の高田さんの行動力もすごいですし、呼びかけに集まった80名のみんなもすごい。
芸術を愛する芸大生の面目躍如というところでしょうか。
拍手!
校歌か、僕が卒業した関西大学の校歌ってどんなだったかなぁ。
準公式校歌でもある関大マグマならよく覚えているんだけど。。(汗)
校歌なんてあるのが当たり前と思っていたのですが、こうして校歌がつなぐ縁というのもあるんですね。
そういえば、小学4年生の時に1年だけ通っていた小学校の校歌は何故だか今でもよく覚えています。
校歌を覚えている学年の同級生もなぜか覚えている。
他の学年、学校の校歌も友人たちもほとんど覚えていないのに。
理由はなんとなく分かっている。
この小学校に通っていた1年間、両親に離婚話が持ち上がっていて、僕だけ祖母の家に預けられていたから、学校だけが生きがいだったから。
息子たちもこの3年間に通った学校の校歌を思い出すことがあるだろうか?
すでに当たり前にそこにある校歌だと意味がないのだろうか。
今日は東京新聞に掲載されていた東京芸大の校歌再生プロジェクトの記事についてnoteしました。
それでは!
追伸: 公開されていたのでリンクを貼ります。