なんだかなぁて思う理不尽なこと、そして人嫌い
街中を歩いていると、なんだなかなぁと思うことが多い。
つまりは他人のことを気にし過ぎているとも言えるし、
良く言えば、細かいところまで気が回るとも言える。
関西弁ではそういうことを「気にしぃ」と呼ぶ。
ただ、細かいところまで気が付くというのは疲れるものた。
あぁ何があっても動じないおおらかでいられたらよかったな、とも思うし、
裏を返せば、だけどそれって気が利かないというか、傍若無人だとも思う。
まぁ味方によって良くもあったり、悪くもあったり、表裏一体ということなのだが。
とにかく、街を歩いていると基本的に色んなことが気になって疲れる。
特に最近になって酷くなったんじゃないか。
例えば、
正面からスマホを見ながら歩道の真ん中を歩いてくる人。
こちらの事を気付いているのかいないのか。
結局、全くこちらの事を気付かずに突進してくるものだから、
ギリギリになってこちらが脇に避けなければいけない。
なんだかなぁ。
例えば、
駅のホームで電車から降りてくる人を待っているのに、後ろから追い越して乗っていく人。
もしくは、電車が駅に停車して、これからさぁ降りようとしていたら、降りる人を押しのけて我先にと乗ってくる人。
なんだかなぁ。
そんな些細な事を気にしてたらキリが無いよ、
自分でもそう思うのだけど、
マスクをして、イヤホンして、外部からの情報を一切シャットアウトして、
見ない、聞かない、気付かない
とそれこそ神経を集中しないといけない。
それも疲れるし、何か不意なことがあった時に危ない。
無差別殺人者が隣で暴れ出そうものなら、おそらくら真っ先にやられてしまうだろう。
それは嫌だな。
自分はいったいどんな出来事が気になるのか、
少し考えてみると、基本的には
「人」との関わり
が嫌いなんではないかと思った。
確かに歳をとってから人混みに出ることは極力避けたい。
ディズニーランドなんてもっての外。
絶対無理。
参拝客で溢れかえる大晦日、正月三ヶ日の初詣も何年も行ってない。
初詣は2週間くらい経って落ち着いてきてから。
花火大会も無理だな。
混雑ぶりをニュース報道で見ているだけでゾッとする。
夏の風物詩は、もっぱら近所の公園脇の歩道橋の上から、遠くにチラホラと見える河川敷の花火大会を楽しむくらい。
そうか、結局「人嫌い」なのか。
そういうことになるのか。
それはそれで寂しいな、とも思う。
人好きくらいでは無いと、これからもっと歳を取っていくと偏屈な爺さんになってしまうぞ。
あそこの◯◯さんとこのお爺ちゃん、いつも周りに睨みを利かせて感じ悪いわね
なんて近所でヒソヒソ言われるなんて嫌だ。
とかなんとか考えているが、そもそもそれが気にし過ぎだっていうことだ。
〈了〉
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