通訳とトナカイの移動距離とルー大柴

約2年ぶりにnoteを更新します。といっても、なんてことはないブログ的なことです。たまたま書店で買い物をしていたら面白い本に出会ったので少しだけ紹介したいと思います。

その名の通り、世界中の言語の「翻訳できない」言葉を絵本形式で紹介する本です。訳せないというよりかは、バシッとハマって対応した単語がないと言うのが適切かもしれません。

例えば、本書に登場する言葉にフィンランド語の”poronkusema”(ポロンクセマ)というものがあります。「トナカイが休憩なしで移動できる距離」という意味の単語です。全くピンと来ませんよね。状況もめちゃくちゃ限定的ですし、多分トナカイを飼っている人以外には1ミリも伝わらないでしょう(だいたい7.5kmぐらいみたいです)。翻訳しろという方が無理ある気がします。

日本語からもいくつか紹介されており、代表的なものとしては「木漏れ日」がありました。自分が通訳の仕事をしていて、「ここの木漏れ日を見ると子供の時を思い出すなあ」なんて言われたらおそらく一瞬詰まってしまうだろうなーという気がします。”The sunlight passing through the leave of trees reminds me of my childhood”(=木の葉の間を通って出てくる日の光が自分の子供時代を思い出させる)と訳せばいいでしょか。でもなんとなく説明チックで冗長ですし、木漏れ日の持つ幻想的な雰囲気が損なわれている感じも否めません。

とまあこんな感じで「トナカイの移動距離」的言葉がどんどん続いていくのが本書の特徴です。この本を読んでいると、各言語はそれぞれに独自の切り口があることをまざまざと実感させられます。poronkusemaという言葉が存在するということは、トナカイが日常の中にあり、またどれくらいの距離なら疲れずに歩けるのかということがその世界の中で共有されていることを表しています。これがもしラクダを頻繁に使う世界であれば、ラクダを単位とした言葉が使われているかもしれません。そういえば、日本語には「馬力」って言葉がありますよね。各言語の違った切り口、いわば世界観のようなもの感じられるのが本書を読む楽しみの一つかもしれません。

さて、こういった言葉は翻訳・通訳者にとって非常に難しい問題です。対応する言葉がないとはいえ、なんらかの上手い訳を求められるからです。取れる手段はいくつかありますが、1つは近しい言葉や同値の言葉で置き換えること。poronkusemaであれば、「約7.5km」と言ってしまってもいいかもしれません。「木漏れ日」は極端な話”sunlight”(日差し)と言っても嘘ではないわけです。こうした訳は、その言葉によって話者の伝えたい意図が損なわれないのであれば悪くはないですし、スピード感の求められる現場で必要な場合もあります。しかし、話者が意図して、その言葉をあえて選んだ場合にそうはいきません。その場合できることは、多少冗長になっても説明することです。木漏れ日であれば、単に葉っぱの隙間から差す日の光だけでなく、そこから感じられる温かで幻想的な雰囲気を説明すべき場面があるかもしれません。状況に応じて、適切な説明を加えることはある意味翻訳・通訳者の腕の見せ所なのでしょう。

私が普段通訳を行なっているバスケに置き換えてみましょう(多くの場合私は英語→日本語の通訳をしています)。幸いにもバスケで使われる多くの言葉はそのまま日本語でも英語でも使うことができます(例えば、シュート、パス、ドリブルなど)。そのため、概ねその英単語をそのまま使うか、そうでなければ対応するような日本語を使えばいいのですが、中にはそのどちらでもない「トナカイの移動距離」的表現もあるわけです。例えば、”contain the ball”という言葉。コーチなどが「抜かれないように、しかしプレッシャーを与えながらボールマンにつく」というニュアンスでよく使います。辞書的な意味ではcontainは「制御する、食い止める」などがあるので、「ボールマンを抑えろ」と訳せそうな気がしますが、これではやや漠然としています。逆に「抜かれないようにつけ」と言ってしまうと、今度は「プレッシャーを与えつつ」という部分が削ぎ落とされてしまい、ただゆるめにつくと捉えられかねません。文脈によってはそれでOKな時もありますが、必ずしも「contain=抜かれないようにする」というわけにはいかないのです。それならば、全てを説明する必要があります。ただ、この対応もその言葉が一回きりであれば説明し尽くすだけで済みますが、フロア上で頻出する言葉をだらだらと長く説明することは実際の現場においてあまり現実的ではありません。

となると、できることはただ一つ。「言葉を言葉としてそのまま理解してもらう」ということです。つまり、ひとまず「contain the ballというのは〜という概念だ」という説明をしたのち、以降は”contain the ball”という表現が出たら、「ボールをコンテインしよう」と訳すという手法です(訳すというよりは復唱する?)。これであれば、「コンテイン」とたった5文字を伝えるだけで、「あー、抜かれないようにでもボールにプレッシャーを与え続けることね」と十分に、かつ簡潔に意図を伝えられそうです。また、選手自身も英語の表現を自分のものにしやすくなるという利点もあります。

今シーズン、通訳の二年目として意識しているのはこういった点です。コーチが使う英語の意図を理解する、それが「トナカイの移動距離」的英語ならばそのままの概念として理解してもらう、理解のみならず選手が会話の中でも使えるようにする。もしかしたら非常に手間のかかるプロセスかもしれませんが、うまくいけばより円滑なコミュニケーションにつながるかもしれません。この辺は試行錯誤ですが、一つの試みとして挑戦していこうと思います。

そんなことを考えていると、突き詰めた状態では「youはballをcontainするんだ」という風に、なんだかルー大柴のような状態になるかもしれないなと思い始めました。あの話し方にはそんな奥深い意図があったのか…と何故か感心。まあ、あまり極端すぎるのもそれはそれで難を生み出しそうなので、その中庸あたりを目指すべきだとは思いますが、方向性としては間違ってはいないでしょう。

本の感想からだいぶ話が逸れましたが、英語を英語のまま理解する重要性ってこういうところにもあるよなーと思った日曜日でした。ちなみにこの本の中で僕のお気に入りの言葉はドイツ語のDrachenfutterです。直訳すると「龍の餌」ですが、詳しい意味については本書で確認してみてください。

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