2020年8月25日ハッタツソン講演文
2020年8月25日に合同会社Ledesone(レデソン)が開催するイベント「ハッタツソン2020」に発達障害当事者として「働く」について講演させて頂くことになりました。
makotoプロフィール
介護職(一般雇用、障害告知済)4年勤務
精神障害者福祉手帳3級(広汎性発達障害)社会福祉士
関西の大学、大学院で心理学について学び、発達障害や知的障害のある特別支援学校生徒の就職実習に支援者として立ち会うなどの活動を行う。大学院時代、自分の考え方を関係者に押し通そうとして関係者を怒らせる、特別支援学校の実習生にあまりに口下手すぎて心配されることなども。トラブルが多かったことから、大学院のゼミの担当教官に「失礼だとは思うけど、もしかするとmakotoさん発達障害の傾向があるかも・・・」とコメントを頂く。
一方で、文字を読んだり文章の内容をまとめるスピードがかなり速く、学内の授業補助アルバイトをした時、担当教員(ゼミの先生ではない別の先生)から「コメントシートを読むスピードや取りまとめにかかる時間が歴代のバイトさんの中で最速」と評価される。たまに担当教員の授業をその場の勢いでジャックしてしまうことも。
修了後障害者入所施設で介護職に就く。しかし、
・利用者さんの座席を全く覚えられない
・隣接する通所施設への利用者さんの誘導順や誘導場所を間違える
・食事の配膳に通常職員の数倍の時間がかかる(利用者さんによっては食事が加工されていたり、食前、食後に飲まなければいけない服薬がある方がおり、どれが誰の食事で誰にいつお薬を飲んで頂くのかわからなくなる)
・言われた指示をすぐに忘れる(メモを取っても、取ったこと自体を忘れる)
・利用者さんの金銭管理で使用する書類を書き間違えたり、金額を数え間違える。
等のトラブルが頻発する。
内定を頂いたものの試用期間で雇用終了、という話が管理職会議で出たが、当時力を入れていた利用者さんの余暇支援について上司が評価して下さり、なんとか正式採用となる。
その後もどれだけがんばってもさまざまなことで周囲の足を引っ張り続け、悩んでいたところ、ふと担当教官のコメントを思い出して自分自身が発達障害であることを疑い始める。就職後2年目に発達検査を近隣の病院で受け、3年目に「広汎性発達障害」の診断を受ける。
担当医からは「言われた情報を整理してとりまとめる能力が弱く、得られた情報をもとに推理、処理する能力が低い。一方で言語的な能力が高い」「職場環境が変化すると、新しい動線を構築するのに時間がかかる」と評価を頂く。
その後法人の管理職や親しい職員に限って障害告知し、「不安だったでしょう。よく言ってくれた」と受け入れて頂く。合わせて環境の変化に弱いことから人事異動を一時的に停止して頂くなどの配慮を受ける。また、私の希望から一般雇用を継続する。万が一の失職や体調不良などに備え精神障害者福祉手帳を取得するなどの制度利用も進める。関係者とは今も業務についての相談を継続している。
私が働く上で大切にしていること、悩み
社会モデル…障害は個人の中にあるにではなく、多数派の作った社会と少数派の身体特性のあいだに生じる、という考え方(綾屋ら、2018)
個人と社会の歩み寄り…綾屋ら(2018)の「ソーシャル・マジョリティ(社会的多数派)研究」より。障害のある当事者が自分自身について研究する「当事者研究」と対になるもので、「多数派の身体特性をもった者同士が無自覚に作り上げている相互作用のパターン」について研究する。双方の研究を通して当事者と社会が互いに変えていける部分と変えられない部分を分類し、(社会モデルの考えに基づいて)双方の間に生じている「障害」を小さくしていくプロセス。
※綾屋紗月編(2018) ソーシャル・マジョリティ研究-コミュニケーション学の共同創造(コ・プロダクション)- 金子書房 より引用
以上の考え方から「障害」が生じても、過剰に自責的になったり、他責的にならない。自分が変えていける部分はどこか、変えていけない部分はどこかをその場で考えていく。また、会社といった「社会」と対話していく中で同様の検討していく。一人で難しい場合は代弁者となってくれる協力者に協力を仰いでいく。
ただし、「冷静に自己・他者分析できる当時者であり」「会社(社会)側に相談に乗ってくれる人がいて」「対話できるだけのコミュニケーション能力がある当事者であり」「周囲に協力者がいる」という高いハードルがおり、自分がしたようなことを他の当事者の方々に勧められるかは、かなり疑問。
「障害(生活上の困難)を小さくしていくために、当事者が社会に対し双方の歩み寄りを求めること自体が既に高いハードルとなる」(歩み寄りというプロセスそのものが当事者にとって苦痛かつ解決困難な障害になる)いう社会問題があるのでは?
また、担当となる上司が入れ替わった場合改めて同様の形で「歩み寄り」や障害告知を行う必要が出てくる。
手間がかかる上、協力者や理解者が人事異動や退職でいなくなってしまった場合「歩み寄り」のプロセスそのものが壊れてしまうかもしれない。
いつ崩れるかわからない人間関係の中、不安定な立場でずっといなければならないのか?という不安が常につきまとう
働く上で行っている工夫
・口頭で言われたことを忘れてしまう
→普段自分が習慣的に見る場所(パソコンデスクなど)に期限とやるべき業務を書いたふせんを貼り付ける。付箋が持ち込めない(忘れやすい傾向にある)業務の時には携帯にアラームやカレンダーを設定する。
↓実際のアラーム、カレンダー設定
・通所施設への誘導を間違える
→誘導するメンバーや場所、時刻、時刻メモした紙を誘導時に使う共用バッグに入れさせてもらう。
・金銭管理や書類を作る上でのミス
→Microsoft Word(ワード)を使って自分でマニュアルを作る。文章だと見にくいため、できる限りナンバリングして箇条書きにする。書類の書き方など文字だとわかりにくくなる、長くなる部分については、携帯で撮った例示の書類の写真を会社のパソコンに入れてワードに貼り付ける、ないしはパソコンのスニッピングツール(snipping tool)を使ってパソコン上の表示を切り取ってワードに貼り付ける。
計算ミスについては、計算ミスをしやすいポイントや場面をメモしておき、ミスをしてしまった場合やミスが疑われる場合の時にそれを参照し、確認する。
↓実際のマニュアル ※写真部分は利用者さんや私含む社員の個人情報が含まれているため、申し訳ありませんが割愛させて頂きました。
実際にサポートを受けて
利用者さんの座席が覚えられない
→覚えるまでの間、上司にユニットの壁に座席表を貼りつけて頂く。
・配膳に時間がかかる
食器類を置く場所や配置位置などを上司にデジカメに撮って写真カードにして頂き、それを見ながら配膳する。当初は時間がかかるが慣れるとカードを見なくてもできるようになり、スピードも上がった。
入社当時の上司が(言っても忘れてしまう、理解がなかなかできないなどから)聴覚よりも視覚に訴えるようなサポートが必要であると判断し、写真カード類を作って下さる。スピードが遅いものの徐々に仕事ができるようになることが自信につながった。そうしたサポートが後々の自分自身が進んで行った「工夫」(写真を使った会計マニュアル)にも繋がった。
まとめ 人生の助けとなったもの
・私の特異性を指摘して下さったゼミの先生の存在(親身に悩みを聴いてくれる方でもあった)
・自分の障害特性の理解や受容、工夫の助けとなった、大学・大学院時代に身につけた知識や新たな知識を周囲から学ぼうとする習慣
・職場不適応を起こしていても、私の強みを捉えて下さり手厚くサポートして下さった入社当初の上司の存在。
・障害告知を受け入れ、相談に乗って下さる協力者の方々の存在
他、業務上の社員の裁量権の小ささ(やるべき業務や期限が概ね無理のない範囲で決められている)が却って功を奏した?「自由にやっていいよ!」と言われたら却って困っていたかも・・・
その他、質問がありましたらお願いします。
会社の飲み会、障害告知、趣味など・・・