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私が音楽している理由 7

高校に入学し、軽音楽研究会、略して軽音(どこかで聞いたことのある名称ですね(笑))と言う部活に入りました。当時は都立高校唯一のジャズビッグバンドの部活でした。後にプロになる先輩方が教えに来てくださっていて、かなり本格的なビッグバンドの部活でした。

ここでその部活のエピソードと言うか、先輩たちの武勇談と言うか、を一つご披露します。私が入学する直前の12月、この部活は大学のビッグバンドの祭典に招待され演奏しました。名だたる大学バンドが揃う中、ゲストとはいえ、ただ一つの高校バンドである軽音は、それなりに注目されました。

そして演奏前の曲紹介の時、当時の部長が言いました。サドメル(サド・ジョーンズ&メル・ルイス ジャズオーケストラ)の Two Away ZoneとCentralPark North を演奏します、と。大学生たちは「ヒューヒュー!」「ピーピー!」とはやし立てました。完全に馬鹿にしていたのです。

そもそもサドメルは、大学生でも尻込みするような難曲ばかりのジャズオーケストラです。その中でもTwo Away ZoneとCentralPark North は、難曲中の難曲でした。それを高校生がやろうというのです。常識的に考えて、上手く演奏できるはずがありません。それどころか、譜面がないはずです。

演奏が始まりました。そして1曲の演奏が終わると、会場は静まり返っていたそうです。そして演奏が最後まで終了すると、嵐のような拍手が起こったそうです。見事な演奏だったそうです。それもそのはず、その代の軽音部員たちは、奇跡的に天才的な奏者が集まっている代だったのです。

このイベントの後、小石川高校軽音楽研究会は、一気に大学や業界の間で有名になったそうです。私の一つ上のギターの先輩萩野さんは、のちにプロになりました。萩野さんに憧れて、毎日質問攻めにし、必死に練習しました。面倒くさい質問にも、萩野先輩はいつも優しく丁寧に教えてくれました。

定員1名の軽音ギター担当、先輩たちの話を聞くと、プレッシャーでした。そしてギター担当の2年生、3年生の超絶プレイを毎日のように目の当たりにし、劣等感に苛まれる毎日でした。でも「音楽ができるようにならなければいけない」と追いつめられることが、ある種の喜びでした。

だってポピュラー音楽とか、やりたくてもできなかったからです。やれる環境が与えられたことが、うれしかったのです。エレキギターも入手しました。でもアンプやエフェクターは持っていませんでしたから、ひたすら指とピッキング練習の毎日でした。そんな中、季節は文化祭に向かうのでした。

小石川高校の文化祭は、不思議な名前がついていました。毎年9月の終りごろ、4日間に渡って行われるのですが、最初の2日間を芸能祭、3日目と4日目を創作展と呼び、その数日後に体育祭が行われました。この1週間を、芸能週間と呼び、その約1週間は授業がなく、生徒は青春を謳歌しました。

芸能祭は、ステージ発表の2日間。創作展は展示発表の2日間でした。部活の軽音は、芸能祭最後のステージを飾った後、創作展で2日間音楽室を独占して、音楽を発表し続けました。当時は創作展にOBが参加しても、問題ありませんでした。きわめて自由な空気の中でたくさんの発表が行われました。

部活の芸能祭のステージでは、ビッグバンド全員ですから、かなりの人数で演奏しました。鬼警部アイアンサイドのテーマなど、ツインギターが必要な曲では、萩野先輩と共にツインで演奏しました。そして芸能祭のステージは、任意団体も自由に発表できました。私も出ました!

どんなふうに出たかと言うと、クラスの5人でバンドを組んで、ロックをやったんです。たまたまですが、幸運なことに軽音の1年ドラムと1年ベースが、同じクラスでした。その3人にピアノとオルガンの女子を2人加えて、なんと無謀なことに、ピンクフロイドに挑戦したんです(驚)(笑)

ステージ時間は自由に取れましたから、50分ももらって、ピンクフロイドの「狂気」アルバム全曲を、一気に演奏しました。譜面は私が書きました。聴音は昔から得意だったんです。問題は音色でしたが今思うと、本当にいい加減な音色しか作れませんでした。ギターアンプとベースアンプは借り物。

ドラムスはドラマーが自分の楽器を持っていたのでそれを。ピアノは生ピ。オルガンは、音楽の先生に頼んで借りた、音楽室の足踏みオルガンでした。歌のマイクは放送委員会に頼みました。夏休み、練習場所はジプシーでした。いろいろな場所をお借りしました。いろいろな人に助けてもらって、

やっと何とかステージに昇りました。ああ、ちゃんとした音色が出せるはずもないのに、よくぞここまで無謀な!と思いますが、まあそれは若気の至りということで、大目に見てやってください。「虚空のスキャット」は、オルガンの女子にスキャットしてもらい、その間は私がオルガンを弾きました。

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終わってみると、部活の部長から「1年生でこんなに上手いバンドが出たのは初めてだね」と、これ以上ないお褒めの言葉をいただきました。嬉しかったです。何が嬉しかったかと言うと、部長さんが見に来てくれていたことがでした。だけではなく、音楽の先生も見てくれていたんです。嬉しかった。

とにかく私は、極めて不完全、極めて幼稚、極めてヘタクソではありましたが、まがりなりにも、この時初めて「ピンクフロイドになれた」あ、いや、なれた訳ではなく「ピンクフロイドの真似ができた」んです。なんか言いようのない達成感があり、それから数日は,ぼーっとして過ごしました(笑)。

7はここまでにします。読んでくださった方、本当にありがとうございました。高校入学から「ピンクフロイドの真似ができるまで」でした(笑)。次回の8では、文化祭終了後、ロックとジャズの間で葛藤し、悩みつつも部活を続けた様子をお話ししたいと思います。

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