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山本直純先生に、ご一緒させていただいた日。プロオケはどんな音がするのかを知る。

以前の記事で、「一度だけプロのオケを振ったことがある」と書きました。別に嘘ではありません。ただし仕事ではなく、あるテレビ番組で素人に本物のオケを振るという体験をさせてあげよう、という企画に載ったというだけの話です。

テレビ局は忘れました。番組名も忘れました(笑)。覚えているのは、企画したプロダクション名が、テレビマンユニオンという名であったことと、山本直純先生の番組であったことです。その年の1月15日に新成人となる若者に、オケを振らせてあげようという企画でした。

新成人の若者が、確か8人くらい呼ばれました。その中の一人が私でした。収録は前年の12月だったと思います。早生まれの私はまだ19歳でした。1970年代の後半、大学2年の時でした。若かったです(笑)。まだ痩せていた頃です(大笑)。ウエスト70cmのズボンが履けた頃でした(嘘っ!)。

曲は、何を選んでもよいという事だったので、私はワーグナーの「マイスタージンガー前奏曲」を選びました。好きな曲でもありましたが、何よりその年の初め、NHKホールでウイーンフィルの演奏会に行って聴いて感動し、アンコールで聴けたマイスタージンガーが素晴らしかったからです。

アンコールでマイスタージンガー! 信じられないオーヴァーワークだと思いますが、ウイーンフィルと指揮者のカール・ベームは、楽々と、平然と、素晴らしいマイスタージンガーを聴かせてくれたのでした。なんというか、クラシックでこんなに感動したのは、この演奏会が1番!

2番は、やはりこのウイーンフィルの来日公演で、上野の東京文化会館の大ホールで、ドホナーニの指揮で聴いた演奏会です。特に感動的で今でも覚えているのが、シューベルトの未完成交響曲です。凄い音がしました。結局私は、ウイーンフィルが好きなんだと思います。

山本直純先生とのイヴェント、どこのオケだったかの記憶は定かではありませんが、新日フィルだったように思います。リハーサルがおこなれました。リハーサルは、世の常としてテレビ放送の尺よりかなり長く収録するようです。この直純先生は私たちと、かなりゆったりとお話してくださいました。

私が一度オケを振った後「あなたは家で勉強してきたようですね」とおっしゃいました。確かに私はかなりの予習をして、どこでどの楽器が重要であるかを全部頭に入れ、その楽器の番が来ると目と棒で奏者に合図を送っていました。その頃の私は、指揮者というのはそうあるべきと考えていました。

直純先生に褒められた気がして、気分良かったのですが、その「家で勉強」の会話は、本番では言ってくれませんでした(笑)。その時のオケの音、覚えています。私が所属していた大学のオケと、違うというより全くの別物でした。比較対象外という事です。

ああ、オケというのは、本当はこういう音がするのだなあ、と感動しつつも、自分の大学のオケの音を思い出すと、少々辛い思いでした。そんなこんなでリハも終わりいよいよ収録の本番となりました。そして私の番になり、棒を振り下ろして音が出た時、この瞬間が衝撃の体験でした。

リハの音、本番の音、音量の差は3倍ほど、これ、本当です。本番での音、物凄い圧力感でした。音のハリ、表現力も数倍に跳ね上がっていました。この本番で私は知りました。リハーサルは本番の流れを確認するためのものであるから、あまり全力での演奏は行わないのだと。

というか、リハで消耗しないように気を付けて、本番では全力、というか、全開の演奏ができるように、自分自身でエネルギー配分しなければいけないことを知りました。いやあ本番のオケの音、凄かったです。音圧で後ろに倒れそうになるのをこらえていたような気がします。

大変勉強になりました。その頃の私はまだ大学オケの単なる1チェロ奏者にすぎず学指揮ですらありませんでした。プロオケの音、本当に凄かったです。もう一つ、プロオケって、棒を振り下ろした瞬間に音が出てくるわけではないんです。指揮者の棒のテンポより、若干遅れて音が出てくるんです。

つまりタイムラグがあるという事です。このラグの度合いを知っておかないと指揮者は務まらないのだという事も覚えました。何故だか判りませんが、アマチュアのオケって、タイムラグの度合いが非常に小さいです。わりと振り下ろした瞬間に音が出ます。プロは遅れます。理由は良く判りません。

あとリハでも本番でも嬉しかったのは、オケの人たちが私が手や棒で合図を送ろうとして奏者の方を見ると、奏者の方々もちゃんと私を見てくれている事でした。二十歳にも満たないただのアマチュア小僧です。そんな私に対しても、ちゃんと見てくれているんです。嬉しかったです。感謝感謝です。

いろいろな意味で、オケとは、指揮者とは、という事を、いろいろ学べた日でした。そしてその経験は、大学オケの学指揮になった時、おおいに役に立ちました。約1か月後だったと思います。放送の日がやってきました。当時はまだ一般家庭にビデオレコーダーなどはなく、録画はできませんでした。

私はブラウン管(これも古い機械ですね(笑))の前に、カメラを持って座り(笑)、自分が棒を振る姿を、カメラに収めました。この時の何枚かの写真、実は今も、私の部屋に額に入れて飾ってあります(大笑)。うちのバンドメンバーが練習に来るたびに、笑っています(爆)

オケの人たちにも感謝ですが、山本直純先生、本当にありがとうございました。私が天国に行った時、またお声をかけてくださいね。ただし、うちのバンドメンバーは、誰一人として、私が天国に行けると思っていないようです(笑)。全員が口を揃えるのです。「先生が行くのは地獄でしょ」(泣!)

有名先生とのお仕事んの記憶、次は、坂田晃一先生との記憶をお話ししたいと思います。ではお楽しみに。



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