警告!この記事を読んではいけない 3「褒めて伸ばす教育」への疑問と提言2
「読んではいけない」シリーズ、いきなり第3弾です。前回の記事「2」で音大の受験指導を例にとり「褒めて伸ばす教育」への疑問を表明しました。基本は、高度な教育を為そうとする場合、「褒めたら伸びなくなる」という原則というか、前提というかをまず指導者自信が自覚することです。
「作曲のレッスンあれこれ」のシリーズで述べたとおり、私が感謝してやまない素晴らしい指導者石桁先生は、生徒である私に、まず自覚させました。「現時点では、いかに低い能力しか持っていないか」を、です。それを、レッスンの度に「わかった?わかった?君は感覚が鈍いんだからね!」を、
毎週毎週、連発するのです。そして実際の作曲で、それを証明してみせるのです。そしてそのたびに「わかった?わかった?」が始まるのです。もう、死にたくなります。すでに充分「はい、私の能力は、低いです」と自覚しているのに、毎週、これでもかこれでもかと、能力の低さに念を押すのです。
レッスンの帰り道は、毎週毎週「はい、よくわかりました。私の音楽的感覚は鈍いです。ですからもう僕は生きる価値がありません」と、頭の中はそれでいっぱいになります。精神崩壊寸前、自殺寸前でした。そこまで生徒を追い込む。そして生徒はそれ以後、決して自信が持てなくなってしまう。
そこが出発点。生徒はその出発点まで追い込まれて初めて、自分の進むべき道が見えるようになります。スタートラインに立って初めて、自分がこれから走るべきトラックを、ゴールまで見渡すことができるのです。そしてその出発点に立てるのは、能力の低さをきちんと自覚できた生徒だけです。
つまり、指導者が、生徒を伸ばそうと本気で思うのであれば、まず、正しくその出発点に立たせなければなりません。その出発点に立てるのは、それまで甘い考えで慢心していた自分のプライドを、ズッタズッタに引き裂かれてもなお、それに耐えて自分の能力の低さを正しく自覚できた生徒だけです。
私はそういう教育を受けてきました。私だけでなく石桁一門の生徒たちは、全員そういう教育を受け、それに耐え、正しく出発点に立てた者たちです。次は私の番です。生徒が私に教えを求めてきたら、私はまず正しい出発点に立たせようとするでしょう。それが先生への恩返しにもなると思いました。
ところがです。私に作曲の指導を求めてきた生徒は、今まで、ただの一人もいません(笑)。そして皮肉なことに、作曲以外の科目は、たくさんの生徒が私に教えを求めにやってきました。「ピアノを教えてください!」「歌を教えてください!」「聴音を教えてください!」「数学を教えてください!」
こんな具合です(笑)。そして「あのね、私は作曲が専門なんだが・・・」と言っても「えっ?ピアノが専門じゃないんですか?」「歌が専門じゃないんですか?」「先生、聴音は誰にも負けないって言ってたじゃないですか?」こんな具合で、生徒でありながら、聴く耳持たずの状態です。
そりゃあピアノならまだ判りますよ。今もピアニストしてますから。しかし、歌には参りました。「歌は得意じゃないんだが・・・」と言っても、「私は風間先生以外に歌を習いたくないんです!」と言ってききません。引き下がってくれなさそうなので、教えました。
どの科目も、本当の専門でないために、つまりは自分に自信がないために、どこか厳しい指導に徹することができませんでした。どうしても、どこか甘くなるんです。ちょっと出来がよい日はつい褒めたくなります。そこがダメなんです。よくて当然、悪ければ許さない、という姿勢を貫かなくては。
数学を教えてくれという子が来た時には、非常に困りました。音楽ですらないんです。でも、その子にはイラストとか、音楽以外の分野でアドヴァイスとかしてましたから、断れませんでした。これら、私に指導を求めてきた子はたくさんいますが、私は、どの子に対しても褒めませんでした。
褒めたらだめになると判っているからです。ここだけは守りました。常に、欠点を指摘し続けました。それが指導だからです。私が指導したふたつの例を、ご紹介したいと思います。最初のご紹介は、この「数学の子」です(笑)。
高校生です。他の教科はそこそこできるのに、数学だけ極端に点数が低い。「自分は数学ができない」と思い込んでいて、それだけでなく、その子の悩みは「数学で赤点を取ったら親に家から追い出される」と本気で思ってしまっていて、それがその子の悩みでした。それで私に泣きついてきました。
まず、どうして数学だけ点数がとれないのか原因を探りました。医療で言う診断。教科書の問題を解かせてみました。解く過程をじっと見てました。答えは間違っていましたが、解く過程に問題はなさそうでした。別の問題を解かせてみました。今度も解く過程に問題はなく、答えは間違っていました。
解く過程のノートを詳しく見ました。途中から、数字の認識を間違えていることに気が付きました。つまり、自分が書いた数字を読み違えていたのです。例えば7を9と読んでいたり、3を1と読んでいたりです。原因が判りました。数字の読み違えでした。更に読み違えの原因も判りました。
字の書き方です。症状は「字が薄過ぎる」「字が小さすぎる」「字が汚すぎる」の3点でした。薄すぎるのは、シャープペンシルの芯を2HからHB に変更することで解決。小さすぎることと、汚すぎることは、しばらくの間、私のレッスンには、大量の宿題を提出させました。内容は、数字の書き方。
大きく、綺麗に、読みやすく。ノートのスペースを贅沢に使い、決して、小さかったり薄かったり汚くて読みにくい字を書かせない練習をさせました。それがある程度身に着いたところで、問題を解かせてみました。そして、もともと過程に問題はありませんでしたから、今度は正解が出ました。
それができてから、今度は今まで点数が摂れなかった単元の問題を、全て解かせました。次は、来るべき定期試験の範囲の予習をして、授業中に出される問題を、自力で正解にたどり着く訓練をしました。充分力はつきました。私はその間、その子を一度も褒めませんでした。
宿題も、私の意に添わぬ程度しかできてない場合は、容赦なく𠮟りました。数学など、全くもって私の専門外ですが、指導の原則は、石桁先生の作曲のレッスンと変わらないです。まず生徒に、能力の低さを自覚させる。生徒の欠点を、絶対に見逃さない、それを絶対に許さない、です。
中間テストで、確実に赤点になるような点しか取れていなかったその子が、期末テストだけの成績で言えば、そのクラスでトップの成績になりました。成果が出て私もホッとしました。その子の能力が急激に上がったわけではありません。その子の欠点を探って、それを徹底的につぶしたんです。
指導というのは、こういう事だと思います。「褒めて伸ばす」??????私には理解できないです。褒めるということは、生徒を肯定することです。肯定された生徒は、自分が正しいと信じてしまい、自分を向上させることをしなくなります。つまり伸びなくなります。
生徒を伸ばしたいのであれば、褒めてはいけません。能力の低さを徹底的に自覚させることから始めなくてはいけません。上記は、音楽ではない専門外の指導の例でしたが、次の記事で、音楽の指導、受験指導の例を、ご紹介したいと思います。あ、でも、一応警告しましたからね。読んではいけないと
ジャスの聴音レッスン。なつきの数学レッスン。二人に与えたことは、それまでの習慣の全てを否定すること。それまでの習慣の誤りが、能力の伸長を妨げていたことを自覚させル事。そうしたことで、この子たちは大幅に急激に伸びた。いや、伸びたんじゃない、ほとんどほっといても、勝手に伸びたであろうが、ちょっとだけショウガいwお取り除いてあげることによって、堰を切ったように能力が弾けた、そう、弾けたという言い方が正しい。もともとそれだけはじけるように伸びる素質があったのだ。素質は本人自身が持っていたもので、指導者である私は、それをちょっとだけほじくったにすぎない。そのやり口は、「褒めた」のではなく「本人の習慣をけなした」のだ、。二人はそれによって伸び、私に感謝した。アニメのテーマソングの質があまりにも低いこと。肯定され続けたガキは、自分の能力の低さを知らないから、こういう事になる。