2024年6月28日(金) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール 加藤訓子プロデュース スティーヴ・ライヒ・プロジェクト 全6話 その3
前回の記事は、次のように終わりました・・・
似ている音楽を列挙してみましょうか。頭の中の記憶の引き出しを、全開にしてみたら、結構たくさんありましたが、そのどれもがスティーヴ・ライヒの作曲年代より後発でした。つまり、先に存在していたのはスティーヴ・ライヒの音楽であり、そこから影響を受けたと思われる音楽が、たくさん見つかったという事です👆
判りやすく言えば、ミニマルミュージックが、そしてスティーヴ・ライヒという作曲家が、全世界の音楽シーンに及ぼした影響が、いかに大きかったか、という事です👆
ではこれより、ミニマル・ミュージックや、 スティーヴ・ライヒの音楽から影響を受けたと思われる音楽を列挙してみたいと思います👆
このお話の前提としては、本で読んだだけの知識や、他人から聞いただけの話などは含めず、あくまで私自身が自分の眼と耳と体全体で味わって確かめた事しか、列挙に含めない、という事です。何も難しく考える必要はなく、要は「私は自分の目と耳で確かめたこと以外は、信じない」って事です👆
では、参ります👆
6月28日の演奏会の間中、私の目と耳と脳は、この演奏会の鑑賞に集中すると同時に、記憶の奥底にしまい込まれていた「共通点を感じさせる音楽」を、探し続けていました👆 その殆どが、最近の記憶でなく、40年以上前のものが主だったと思います。
40年以上❓ 今が2024年だから、40年前は、1984年、50年前は1974年。ライヒのドラミングの作曲年代が1970年とするならば、見事に符合しています👆 ドラミングが発表された直後から、全世界の様々な音楽シーンで、スティーヴ・ライヒ張りの音楽が「流行」・・・んんん、この言葉は印象が軽すぎるかも・・・
ライヒの影響下で作曲されたとしか思えないような作品が、様々なジャンルの中にたくさんある、という事に気付いたんです💦
列挙を始めます・・・
SF映画の冒頭では、ミニマルミュージック的な音型が使われて、神秘性、不気味性などを、効果的に醸し出している映画も多々あります。このような、音楽の作り方、どこから発想して、こういう音楽を作ったんだろうか、と、疑問に思っていたのですが、スティーズ・ライヒの音楽を聴いて、これらの疑問は一気に解決してしまいました👆 原型はライヒだったのです👆
顕著な実例を二つ挙げると「ソラリス(72年のタルコフスキー版ではなく2002年のソダーバーグ版)」と「パッセンジャー」👆
話は飛びますが、rockの世界のお話です👆 ラテンロックの雄、サンタナのステージを武道館に見に行った時・・ステージ上に所狭しと、多くの打楽器が置かれていました👆 メンバー7人のうち、4人までが打楽器奏者です👆
「サンタナのパーカスはスゴイっ❣」とは、話に聴いていましたが、演奏が始まると、それはそれは驚きました💦 会場は武道館です。当然、PAシステムが入っています👆 しかし、そのPAシステムを通り越して、打楽器の生音がストレートに耳に入ってきて、身体をも揺さぶりました💦 物凄い音圧だったのです💦
ああ、たくさんの打楽器が一度に鳴ると、こんなにもスゴイ音になるんだ💦と、初めて感じました👆 6月28日の演奏会後半のドラミングで、数十年ぶりに、この感覚を味わう事ができました👆
またプログレッシヴ・ロックの代表格、キング・クリムゾン(第2期)は、ウェイティングマンという曲で、もろにライヒのドラミングそのものからヒントを得たと判るパターンで音楽が構成されています。実際にライブでこの曲の演奏を視聴した時には、よく理解できませんでした💦 今なら判ります👆、これはライヒからの強い影響で作られた曲だと👆
昔の記憶を紐解いてみると・・・
スティーヴ・ライヒの音楽を論じるには、西洋近代音楽における「作曲法」の基本から紐解かねばならないように思います👆 思い起こせば、私がまだ作曲学生の、それも駆け出しの頃の記憶からです。
私の作曲の師匠は二人👆 ⒈石桁眞禮生、⒉土肥泰👆 どちらも厳格な、ドイツ式作曲法の権威であり、このお二人から、繰り返し厳しく指導された内容があります👆 それは、
「音の動きについて、同じパターンを2度使ったら、3度目には違う音の動きにせよ。これは大原則である」、その通りだと思い、何の疑問も抱かず、この大原則から外れないように、音を動かして作曲をしています。それは、今でも同じです。
しかし土肥先生は講義中に、一度だけ、ボソッと小声で「<2回繰り返したら、3度めは違うパターンで>という大原則・・・最近、これに当てはまらない音楽の作り方もある、という考え方が出てきた・・・これはおそらく、東洋の音楽からの影響だろう。」そう言っておられたことが一度だけありました💦
この時、私もまだ駆け出し学生、ミニマルミュージックという単語すら知らず、そういう考え方も知らず、でも何故か土肥先生のこのお言葉、印象的で、いまだに記憶の中に残っていたんです💦・・・今考えればこれ、ライヒの音楽の事だったのかもしれません💦
あと、民族音楽学の授業の一環だったように思いますが、インド音楽の演奏家が数名、大学にやってきて、インド音楽を聞かせてくれた事がありました👆 巨大な衝撃を受けたわけではありませんが、シタールの、あまりに美しい音色に感動しました。またこの時初めて、生のインド音楽を味わうことができました。
インド音楽は北と南の2種に大別できるようですが、私は北インドの音楽により惹かれました。北インドのヒンドゥスターニー古典音楽は、北インドで主流のインドの古典音楽の流派で、ラーガ(音階に似た音律組織)とターラ(リズム様式)に基づいたものだそうです。
聴いても、一見ライヒの音楽との共通項はありません💦、ハッキリ言って、似ても似つかない音楽です👆 しかし、その裏にある、音楽を構成する要素の組み立て方、というか、音楽が人の感性に与える影響力を、近代西洋音楽とは、まるで違う視点で捉えて、現実の音楽に反映させる、という点では、極めて近しい考え方で、音楽が組み立てられているような気がします👆
ひょっとしてライヒは、インド音楽が全てではないにしても、そういった、東洋の音楽の構成法から、何らかのヒントを得て、自らの音楽を独自に組み上げていったのではないだろうか、という想像、というか妄想、というか、そんな考えが頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・
ここでの詳述は避けますが、前述の映画音楽や、ロックグループのキングクリムゾン、サンタナといったアーティストの音楽の作り方も、少なからず、ライヒの音楽の影響を受けています、ハッキリと👆
6月28日に味わった「不思議な感覚」
6月28日に、加藤訓子のソロを聴いたり、ドラミングの合奏を聴いたりしていると、不思議な感覚に襲われました。なにかこう、時間の感覚が、徐々に失われていく、というか、時間が静止した状態で、音楽だけが進行している、というか、極論を持ち出せば、まるで時間が逆行しているかのような、不思議な感覚です。
加藤訓子自身が解説の中で「神秘性」という言葉で表現していたのは、上記の不思議な時間感覚の事なのかな、と思いつつ、連綿と続く音楽の歴史が、ライヒの出現によって、ある大きな転換点を迎えたかのような、そんな感覚を強く感じるようになりました💦
「悪魔的、呪術的魅力が迸る」演奏会・・・
世の中の真実・・「本物は10分の1」その3
今日は、メインのスティーヴ・ライヒの記述が多かったので、この項目は短めにしますね👆
私は作曲が専門で、いろいろ作曲コンクールに出品したり、鑑賞したりしましたが「ちゃんとよい作品が賞をとる健全なコンクール」は殆どありませんでした💦 良かったら皆さんも、作曲コンクールの審査会場に足を運んでみるとよいです👆 多くの場合その審査、ひどい作品が賞をとります👆(笑)
その結果、今「日本を代表する作曲家」なんて言われている、というかそのように雑誌などに書かれている作曲家は、まず殆どが、才能も実力もない側の人たちです👆 皆さん、有名作曲家のうち実際によい作品が書ける人は、10人に1人位しかいない、という世の真実を、知っていますか❓
何故こんな事になるんでしょうか❓・・・それは日本のクラシックの作曲界が驚くほど腐敗しているからです💦 具体的にはどういうことかと言うと、それは長くなりますので次回以降に譲ることにしますね👆 結果としては、本当に才能も実力もある作曲家が、日本では、表舞台に出られないようなシステムになっているんです💦
実に嘆かわしく、そして不健全な事です。
そんな日本のクラシック界で、スティーブ・ライヒやイリャン・チャンや、クセナキスと言った、本当に本物の作曲家たちの素晴らしい作品群に真正面から取り組んでいる加藤訓子のプロジェクトは、実に清廉潔白、ひとかけらの腐敗要素もない正当無比の音楽です。こんなにも高度で、こんなにも清廉な音楽家に出会うと、本当に嬉しくなります🙌☺🙌
では、次回もお楽しみに(^_-)-☆👆(笑)