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作曲のレッスン あれこれ 5

「なんだこれは?」恐怖のレッスンである。身体凍結、脳停止、うわああ!「君は何故、この音を、この位置に、この長さで入れたんだ? あ???」「どっちがいい音がする?」「ほおら、このほうがいい音がするだろう?」「わかった? わかった? 君は感覚が鈍いんだからね、わかった??」

石桁先生は、厳しいとか怖いとかを通り越していた。作曲という行為をするにあたり、一分の隙もあってはならない、という徹底した完全主義だった。上記の発言は毎週のように浴びせられた。ただ1音のミスも許さなかった。そして、最終的なトドメとして、次のように言った。

「作曲をするのであれば、曲の中の全ての音に、その音が、その高さで、曲中のその位置に、その長さ、その強さで存在しなければならない理由を説明しなさい。その音の存在の必然性を説明できないような音は、1音たりとも書くんじゃないっ! わかった? わかった? わかった??」・・・

もうかすれ声で「はい」と言うのがやっと。「必然性を説明しなさい」??いや、「なんか、いい感じの音なので」とか「適当に・・・」などと答えられる空気ではない。それまでの自分の考えの甘さを、いやというほど、思い知らされ、そして自分の能力が低いこともいやというほど自覚させられた。

石桁先生が最も徹底していたのはここである。能力の低さ、というか、それまで「自分は能力が高い」などと、自信満々に思い込んでいた生徒に対して、本当の能力がとるに足りない程度しかないことを撤退的に自覚させる。音で証明されちゃうから、ぐうの音も出ない。逃げ場も救いもない。

後で気づいたが、その位置が出発点なのである。生徒をまず正しく出発点に立たせるのである。だいたい、作曲をやりたいなどと言ってくる生徒は、多くの場合、自信満々である。音楽的能力の高さを、周囲の人々に褒められて、いい気になっている連中である。そしてそれなりに作曲もできる。

先生は、その程度の能力など、吹けば飛ぶような程度であると教えるのだ。そしてそれは正しい。能力が低いから、まずそれを自覚して、たくさん勉強して、低かった能力を少しでも高めなければならないのだ。そこが出発点。出発点に立つのもすごく苦しいが、その後の鍛錬は、地獄そのものである。

石桁先生に習っている期間も、土肥先生は時々私を呼んで、様子を聞いたりしてくれた。苦しいと伝えると、土肥先生は、またあの声で「ムッフォッフォッフォッ!」と笑う。本当に楽しそうだ。そして満足げだ。今ならわかる。土肥先生は、石桁先生が私を見捨てていないことを喜んでいたのだ。

それだけではなく、私がなんとか、石桁先生の教えについていけていることを、喜んでくれていたのだ。土肥先生のお宅で、同じ石桁門下の先輩の話を聞いたことがある。楽しい話、嬉しくなる話、物凄い話がたくさん聴けた。代表的な3つの話をご紹介しよう。

一つ目。石桁先生が門下生たちを前にして言った「来週あたり君たちの夏休みの成果を披露してもらおう」これを聞いて門下生たちは真っ青になった。殆ど何も書いてなかったのだ。その日から門下生たちは、夜も寝ず描き始めた。ある者は手を痛め、腱鞘炎になり、それでも包帯を巻いて書き続けた。

二つ目、私が嬉しかった話。私が苦しい苦しいと言うと、先輩は笑った。そして言った。「大丈夫、心配いらない、俺たちはみな同じ。マンションの下に着くと腹が痛くなり、エレベーターが11階に着くと、目がかすんできて、お宅のドアの前に着くと、意識が朦朧としてくるんだ。皆同じ同じ!」

ああ、自分だけではなかったんだ、と言うことを知り、大いに安心した。そして3つ目、先輩は言った。「いい先生だよ、昔風の」そういえば土肥先生からも先輩からも、石桁先生門下から脱落者が出た話は聞いたことがない。今でいうドロップアウト。石桁先生は、生徒を決して見捨てないと気付く。

そういう話を聞き、石桁先生に対する恐怖感は薄らいだ。安心したのだ。こんな私でも、頑張っていれば、見捨てられることはないのかもしれない。いつも私の前にレッスンを受けているあの高校生も、大声で怒られながらも、ちゃんとレッスンを受けに来ている。それを見て、さらに安心した。

だからと言って、自分の能力が低いことを自覚したことでの劣等意識が消えるわけではない。考えた。悩んだ。このまま音楽をやり続けても、芽は生えないかもしれない。最高峰になど、決して行きつかない。どうすればいい?音楽以外の道を模索するか? だが音楽以外で、私は何か能力があるのか?

結論を出した。音楽以外の道はあり得ない。理由は明白。私は音楽以外では、何の能力もないため、音楽以外の道を選んだ途端、路頭に迷うことになろう。ならば極めて不完全ではあれど、音楽の道で、私にできることをできるところまでやるほうが、後悔がないのではないか、と思うようになった。

もちろん、夢や希望はかなわないだろう。しかし、音楽以外の道を選んで、さらに夢や希望から遠くなるのは嫌だ。少しでも夢や希望の近くにいたい。作曲家になれないのは嫌だ。しかし作曲家になれなくてもよいから、作曲の真似事だけはし続けていたい。自信がないことが役に立つことがあるかも。

その後、石桁先生のレッスンからは離れた。年賀状を出すと必ず返事を下さった。必ず直筆で何か書いてある。一つご紹介すると「生活のリズムが整ったら書くこと。そしてそれを演奏した聴くこと」言葉の全てに必然性と重みがある。何処までも完全主義者、そして生徒に対しては温かい。嬉しい。

2010年、フェリシアーノと言う曲を書いた。はじめて、天国にいる作曲の師匠に、「先生方、私もようやく、先生方に<できました!>と胸を張って報告できる曲が書けました。聴いてみてください」と言うことのできる曲がやっと書けた。次の投降でご紹介たいと思います。圧縮版短縮版ですが。

石桁先生は1996年、故人となられた。今の私があるのは土肥先生と石桁先生のおかげ。先生方は、私のそれまでの音楽に対する甘すぎる姿勢を正してくださった。努力とはどういうものなのか教えてくださった。この姿勢、いつか自分が誰かを育てる時に使ってみたい。でも使ってもいいのか?

ここから先は、ブラックユーモアになります(笑)。重かったり、厳しかったりする話は、もう今日はありません。が、結果的にブラックになります(笑)。人は、誰かを教える時には、自分が教わった通りにしか教えられないと思います。私が教わった通りに教えると、次のようになります。

まず、生徒本人の能力の低さを、徹底的に自覚させる(笑)。ああ、ああ、こんなこと、現代の世の中で、してもいいのだろうか? やると、パワハラとか言って訴えられるかも(笑) でも言ってみたい(笑)。「君は何故、この音を、この位置に、この長さで入れようと思ったんだ? あ?」笑笑笑

ああ~~っ!!! 言ってみたい言ってみたい!!!しかし、幸か不幸か、私に「作曲を教えてください」と言ってきた学習者はいない(笑)。ピアノはたくさんの子に教えてきた。でも、本当の専門ではないから、どこか、どうしても教え方が甘くなる。作曲ならどうだ? あああ、言ってみたい(笑)。

乱文失礼しました。読んでくださった方本当にありがとうございました。私の作品は、このnoteでも圧縮して短縮した版を投稿していますが、チューンコアを中心にした5つの販売ストア(YouTubeなど)では、高音質版を配信販売していますので、興味ある方は、覗いてみてください。


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