警告!この記事を読んではいけない47「銃」について14<イギリス空軍2>
前回の記事の続きで、1982年のフォークランド紛争のお話しです。イギリスの領地であったフォークランド諸島に、アルゼンチンが侵攻したので、怒ったイギリスが、100隻を超える空母大機動部隊を派遣して、戦争して、フォークランドを取り返した、というのがこの紛争の概要です。
まあ、どう考えてもいろいろ不自然なこの紛争でした。そもそも何故、アルゼンチンなどという、ほぼ地球の反対側の遠い遠い島々が、イギリスの領土だったんでしょうか、という疑問から始まりますが、ヨーロッパの大国って、何世紀も前から植民地分捕り合戦をしていたので、その名残ですね。
フォークランドの領有権を巡っては、イギリスとアルゼンチンの間で、平和的な領土交渉があったようですが、どちらもあまり熱心ではなく、ほったらかしの棚上げにされていた感は否めません。ところがアルゼンチンがフォークランドに侵攻を始めると、イギリスは激怒して、空母艦隊を派遣するという大騒ぎになりました。
さてここで、軍隊の役割分担について、考えてみましょう。現代では軍は、3軍に分けられるのが通例です。陸軍、海軍、空軍です。陸軍は地上戦を行う軍です。船や飛行機を殆ど持っていません。持っているのは、対戦車ヘリとか輸送用ヘリとかです。移動が必要な場合は海軍や空軍の力を借ります。
海軍は船を持つ軍です。空母や駆逐艦などの戦闘艦の他に、輸送艦や強襲揚陸艇なども持ちます。空軍は飛行機を持つ軍です。戦闘機、攻撃機、爆撃機などの戦闘用航空機の他に、輸送機や連絡機などを持ちます。さて、このフォークランド紛争では、どの軍が活躍したのでしょう。
アルゼンチンまで行くわけですから、当然、主たる部隊は海軍です。空からも攻撃したいですから、飛行機はたくさん必要ですが、海軍は空母を持っていて、それに載せる艦載機も多数持っていますから、空軍の力を借りなくても戦闘用航空機はすでに持っているわけです。
陸軍も必要になるでしょうから、海軍の船に載せてもらい、フォークランドまで行きました。さて空軍といえば・・・はい、このような遠方過ぎる場所での戦闘には空軍は殆ど出番がない、というのが実情です。そもそも空軍機ってのは、自国の陸上の滑走路から飛び立つ事を基本としていますから、イギリス本土からフォークランドまで飛んで行ける飛行機など、ないんです。
イギリス空軍は地団太を踏んでいたようです。陸軍と海軍は、大挙して遠征して活躍しようというのに自分たちだけが今回は役立たず状態なのですから。そして、何とかして、どうにかして、自分たちが活躍する機会を作りたかったのでしょうね。なりふり構わぬ信じがたい行動に出てしまうのです。
それはなんと、爆撃機をフォークランドまで、アセンション島という中継基地はあったものの、それ以外は無着陸で飛ばして攻撃をしようという計画です。まあ最近の軍用機には皆、空中給油装置が付いていますから、空中給油を繰り返せば、到着する事はできなくはありません。しかし何故無着陸で往復しなければならないのでしょうか。
それは地政学的な問題になります。仕方なかったんです。だって、イギリスとフォークランドの間にあるのは、海だけなんですから。そう、途中に島が殆どないんです。あっても極小の無人島とかで、飛行機が着陸できる滑走路を作れた島は、アセンション島だけだったのです。
なので、何とかして活躍の機会が欲しかったイギリス空軍は、超無謀な計画を立てました。大型戦略爆撃機をアセンション島から飛ばし、空中給油を繰り返し、フォークランドまで行かせて、爆撃任務を行おうとしたのです。何故小型機、中型機はダメなんでしょうか。
そもそも小型機と中型機は、空母に積んでフォークランドにすでに行ってますから、必要なかったと思えます。つまりイギリス空軍の活躍の機会があるとすれば、それは大型機を飛ばすことしか残っていなかったのです。大型機といえど6000キロかなたのフォークランドまで行くんですか?もっとも出撃拠点となったのは、南太平洋に浮かぶイギリス領の島、アセンション島でしたが。
まあ、空軍もメンツにこだわったんでしょうね(笑)。ここで問題になるのは、空中給油を繰り返しても、フォークランドまで飛んで行けるような大型爆撃機を、イギリス空軍が持っていたのか、ということです。一応、あるにはあったんです。あくまでも一応です。何でそんなバカにしたような言い方になるかというと、この大型機、紛争直前の1982年3月に、全機、退役したはずの大型戦略爆撃機だったのです。
これが「アブロ・バルカン」です。初期型がイギリス空軍に納入されたのは、なんと1956年です。第2次大戦後、わりとすぐに作られた爆撃機なんです。そして後期型のB2が1957年に初飛行し、イギリス空軍で運用が開始されたのが、1960年でした。
そしてこの大型戦略爆撃機は、1982年の3月、役目を終えて、めでたく全機退役したのです。ところがフォークランド紛争などというとんでもない事態がその直後の1982年4月に起こったのです。そしてこの退役機は、5機ほど、急遽必要な回収を施されて、実戦任務に就く事になったのです。
退役直前の機に、実戦任務が与えられるのならば判りますが、退役直後の機に慌てて必要な改修を施して実戦に復帰させるとは、なんと言うか、これが軍の実情って言うんでしょうね。それしか持ってなかったから、それを使うしかなったんです。涙ぐましい、というか、ある意味笑っちゃいますけど、これ、イギリス空軍にとっては笑いごとぢゃなくて、真剣そのもの、必死の形相で、栄えある実戦に食らいついたんでしょうね。
古い古い飛行機を引っ張り出してきて、何とか飛ばした、という感は、どうしても否めないですね。しかもイギリス本土から6000キロの離れた敵地まで行くんです。その中間地点あたりに、アセンション島という拠点があったからよかったようなものの、その中継基地がなかったら、パイロットが死んぢゃいますよ。
それでも、空中給油を何度も何度も繰り返しながら、やっと目的地にたどり着いた、という感じの飛行になりました。7回の通常爆撃ミッションのうち、成功したのは5回。これだけ見ると、なかなか立派な戦果です。任務は敵飛行場の滑走路の爆撃でした。が、成功した爆撃も、結局は敵の飛行機の発着ができなくなるようなダメージを与える事は出来なかったんです。
敵のアルゼンチンも、黙って爆撃されている訳ぢゃありません。レーダーで捕捉して、対空ミサイルをロックしようとしますし、それを爆撃隊が感知すれば、当然敵の攻撃を回避しようとしますから、爆撃も思うようにできたわけぢゃないんです。ま、実戦というのは得てしてこういうものですが。
最初のお話に戻りますと、「銃」のお話しのはずなのに、何故に戦略爆撃機のお話しになっちゃったんだろうかと、いぶかしむ方々もいらっしゃるでしょう。すみません💦許してください💦いつもの脱線なんです💦
フォークランド紛争という実戦のお話は是非したかったのですが、そうするとどうしても、「アブロ・バルカン」のお話をしたくてしたくて(笑)💦実はこの爆撃機、好きなんです。本当の事を言いますと「この爆撃機が好き」というより「美しい爆撃機が好き」なんです。というか「美しい飛行機が好き」というのが、最も当たっているかもです。
今日はここまでにします。実は未だに本題に入っていません💦本題は、このお話しの主役「アブロ・バルカン」がいかに美しい飛行機であるか、という事です。本当に美しいんです!大好きなんです!次回への予告として一言だけ👆「アブロ・バルカン」、なんか、生き物のような飛行機です!