2024年6月28日(金) 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール 加藤訓子プロデュース スティーヴ・ライヒ・プロジェクト 全6話 その2
前回の記事は、次のように終わりました・・・
私自身「ああ、とうとう<スティーヴ・ライヒ>を知ってしまった💦💦💦どうしよう・・・見ちゃった・・・ああ、もう記憶から消せない💦・・・どうしよう・・・💦💦」・・・そんな気分です・・・
第1話、プロローグをこれで終わります👆 次回からは、演奏会の様子が、どのように「悪魔的、呪術的魅力が迸る」であったのか、順次、詳細にお届けしたいと思います👆
ではお約束通り、今回からは、演奏会の具体的様子を、順次お届けします まずは全体像👆
まずは、私がどのようにしてこの演奏会へ赴いたかをお話させてください👆事前学習を意図的にしませんでした。予備知識が先入観を生んだりするので、私はそれを可能な限り少なくし、ほぼ何も知らない状態で演奏会に赴きました👆
その演奏会が持つ力を、演奏者が持つ力を、純粋にその演奏会における演奏のみから感じたかったからです。そして鑑賞の結果は、先に述べた通りですが、一言で言うと「悪魔的、呪術的魅力が迸る」演奏会でありました💦💦
1部(前半)と2部(後半)のあり方、私は見たことがない
そもそも私は、ミニマルミュージックの生演奏会に足を運んだのが、初めてだったのです。他のミニマルミュージックの生演奏会が、どのように構成されているか、全く知らない、つまり比較対象を持っていなかったため、この演奏会の構成は、初めての経験で、新鮮でした。
1部(前半)約60分。登場する演奏者は、加藤訓子一人、4曲それぞれ、加藤訓子の生演奏と同時進行する再生音・・これも全て加藤訓子の演奏。
2部(後半)約65分。登場する演奏者は13名。加藤訓子に指導を受けた若手演奏家。切れ目なく進行する約65分。
この日の演奏会、何に似ていたか・・・
そりゃあ、独自性に満ち満ちてました👆 普通に捉えれば「こんな演奏会、見たことも聞いた事もないっ💦」となります。だから上記のサブタイトルも、「何にも似ていない、極めて独創的な演奏会」と書けばよいのかもしれません💦 しかしそれでは、よくある評論家の論評のようで、平凡です・・なので私は自分の感性を素直に出したら、上記のようなタイトルに・・
どうも私は昔から、演奏会を聴き終わる度に「この演奏会、何に似てただろう」と考えるのが常になっていまして・・・なので上記のサブタイトルは、私にとっては極めて自然な感じ方なのです・・・私って、ひねくれたヤツかもですね(笑) どうかご容赦下さい🙇
「何に似ていたか」をお伝えする前に・・・
シリーズの中のシリーズというか、記事を書く度に、これは読者の皆様に、「どうしてもお伝えしておかなくちゃ💦」と感じている事なので、また今回も、お伝えさせてください👆
世の中の真実・・「本物は10分の1」その2
評論家のお話が出ましたので、今日はそこからにしましょう👆 皆さん、本物って「10分の1」だけなんです👆前回の記事では、作曲家、演奏会、演奏家、指揮者など、音楽の表現者サイドの本物が、10人のうち1人だけしかいない事をお伝えしました。
今日は表現者サイドはなく、享受者サイドの人たちに焦点を当てましょう👆享受者サイドも「本物は10分の1」しかいません。鑑賞者・・・演奏会の聴衆、CDなどを再生して聴く人、音楽プロデューサー、レコード会社のアーティスト担当者、音響エンジニア、評論家などなど👆 これらの人々も「本物」・・つまり「ちゃんと判って聴いている人」は、10人に1人しかいないって事です👆
これが、世の中の真実です。
私は若い頃、クラシックの演奏会にもよく行きましたが、よく思い起こせば、10回のうち9回くらいは「あれえ~~❓ んん~~💦💦 何がいいのか判らない💦・・・これは、私の音楽的素養が不足してるから❓ 自分が勉強不足だから❓・・・」とか思いながら、家路についたものです。
今なら判ります。あの時の自分の感覚は正しかったんだと👆 10回のうち9回で、感動もなく「あれえ~~❓」とか感じながら帰ったのは、自分の音楽的素養が不足してるからではなく、勉強不足だからでもなく、その演奏者に、その演奏会に、音楽としての価値が、私を感動させられるようなものではなかったんだと👆
だから今では、演奏会に10回足を運んだら、そのうち9回くらいは、何の感動も得られずに「足を運んだ労力も、高価な入場料も無駄だったな・・」とか思いながら帰る・・・という事に慣れ、驚かなくなってしまいました👆子供の頃の自分の感覚「この演奏会、つまらなかったな・・・」これ、正しかったんです👆
謙虚な感覚に立ち返れば、上記は非常に傲慢な感覚かもしれません💦 しかし私は、アニメ「反逆のルルーシュ」の、主人公ルルーシュのセリフと同じ感覚で、この件を表現したいです👆 ルルーシュは言いました。「間違ってるのはオレぢゃない。世界の方だ❣」と(笑)
今回の加藤訓子のスティーヴ・ライヒ・プロジェクトは紛れもない「本物」であり、「悪魔的、呪術的魅力が迸る」演奏会、と評したくなるほど素晴らしい演奏会でした👆 そしてもちろんこう言いたいです👆「オレは間違ってないよ」と👆
では本題に戻るとしましょう👆
この日の演奏会、何に似ていたか・・・
演奏会を聴き終わり、感動に包まれ、ロビーで顔見知りの出演者と談笑し、家路に就くクルマの中で、この日の演奏会を反芻しました🎵 そういえば、こんな音楽に、あんな音楽に、似たような要素、というか、共通項というか・・・いろいろな事柄が頭を駆け巡りました・・・
そして帰宅後、数日かけて、事前学習をしなかった分、今度はミニマルミュージックについて、そしてスティーヴ・ライヒについて、かなり詳細に勉強をしました。その結果、様々な確信を持って、今回の演奏会がいかにスゴイ演奏会であったかを、改めて知るに至りました💦
似ている音楽を列挙してみましょうか。頭の中の記憶の引き出しを、全開にしてみたら、結構たくさんありましたが、そのどれもがスティーヴ・ライヒの作曲年代より後発でした。つまり、先に存在していたのはスティーヴ・ライヒの音楽であり、そこから影響を受けたと思われる音楽が、たくさん見つかったという事です👆
判りやすく言えば、ミニマルミュージックが、そしてスティーヴ・ライヒという作曲家が、全世界の音楽シーンに及ぼした影響力が、絶大であった、という事です👆
列挙の詳細は、かなりの記述量になってしまいますので、この先は、次回の記事に譲ることにします👆 では皆さん、次回をお楽しみに(^_-)-☆
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