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時は流れて現在の私 15

愛媛県松山市のお話に戻ります。すみません今まで、話が横道にそれまくっていまして。今回は、道後温泉の事、新しい自転車で遠出したこと、ホテル奥道後が憧れのホテルだったこと、蜜柑の名産地で蜜柑をたくさん食べた事、などなどです。

何せ愛媛県松山市は、なんといっても温泉の町です。道後温泉があります。夏目漱石の「坊ちゃん」の町です。道後温泉行きました。素直に楽しかったです。何が楽しかったかというと、道後温泉の建物の作り、様子、湯船の石の感じが楽しかったです。

建物は実に昔風、あれ、戦前の感じでした。2階建て。2階は休憩所という名前だったと思いますが、畳の大広間があって、そこでお茶したり昼寝したりできました。湯舟は1回にいくつかあって、道後温泉の湯舟は、木でなく石だったんです。丸みを帯びた、石の湯舟だった気がします。

大きな湯舟でした。子供の私は泳いでいました。お湯は、少々白濁していたような気がします。由緒ある温泉というのは、子供の私も知っていました。その後夏目漱石の「坊ちゃん」を読み、道後温泉を、さらに理解しました。家から歩いて行ける距離にありました。時々行っていました。

うんと小さい頃は、自宅にお風呂がない生活をしていましたので、お風呂屋さんに行くのは自然なことで、好きでした。道後温泉もです。そして、家の近くにある銭湯にも、度々行きました。その銭湯の脱衣場の紫色のランプ、なんか印象的でした。

小学校4年の12月24日に松山市民となり、小学校5年生の時だったと思います。新しい自転車を買ってもらいました。その頃、小学生男子の間ではカッコイイ自転車に乗るのがブームで、当時は特に、2つの装備品がブームでした。一つは変速機でした。

自転車の変速機は、今ではほぼどんな自転車にもついていますが、当時は、この「変速機」はかなりのステイタスでした。4段、5段、6段と変則ギアが多いほど、ステイタスも上がりました。前の歯車が2重になった、8段、10段、12段というのも現れ、ブームはエスカレートしました。

この「変速機」は、急な上り坂でも楽に上がれるというもので、実質的にも、きちんと意味がありました。そしてもう一つ、ブームの装備品は「フラッシャー」でした。光る方向指示器です。電池で駆動します。これがカッコよく光る自転車は、少年たちの憧れになりました。

自転車に電子式方向指示器など、はっきり言って必要ありません。今では、そんなものが付いている自転車は見かけなくなりました。昔の流行りです。私が買ってもらった自転車は、フラッシャーこそ付いていませんでしたが、変速機は付いていて、5段でした。嬉しかったです。

それまでは、今で言うママチャリで過ごしていた私でしたが、大口径の車輪と5段の変速機、そして不思議に変形してはいましたが、一応ドロップハンドルの付いた自転車は、嬉しくて嬉しくて、毎日乗り回しました。遠くまで行ってみたくなり、自宅を出て、道後温泉も過ぎて、川の流れに沿って、

上流まで上流までと、坂を昇っていきました。知らない世界が広がっていましたが、川沿いですから、迷子になって帰れなくなる心配もありませんでした。川沿いを上流まで登ると、濃い茶色のひときわ瀟洒な建物が見えてきました。「ホテル奥道後」です。

このホテル、今は名前が替わったようですが、どうやら今でも存在しているようです。なんか、憧れの建物でした。外国映画に出てくるような、カッコイイ建物でした。そして、日帰りですが、そのホテルの中に遊びに行くことができるようになりました。

ホテル入館の目的は、入浴です。またお風呂です(笑)。このホテル奥道後には「ジャングル風呂」という施設があり、これ、日帰り入浴もできました。その名の通り、広大な敷地にジャングルのような温室があり、小さな湯舟がたくさんたくさんあり、一つ一つに名前がついていました。

たくさんの湯舟に、全部入るのが楽しくて、何回行ったような気がします。そして、いつか泊まってみたいと思うようになるのでした。それは2年後の、松山市での最後の夜に実現することになるのですが、そこで松山市とはお別れになりました。

愛媛県松山市は、いや愛媛県全体が、蜜柑の名産地でした。冬は毎日蜜柑と暮らしていました。美味しいとか美味しくないとか、そんな感覚ではありませんでした。いつも目の前にある、大変身近な存在で、ないとおかしい、というか、なかったことが無いので、常に食べていました。

今では全国に「ポンジュース」というジュースが出回っていますが、あれ、昔は愛媛県にしかなかったようです。愛媛では、私が子供の頃から「ポンジュース」という蜜柑果汁のジュースがあり、皆飲んでいました。当時のパッケージ、というか入れ物は大きなガラス瓶でした。お酒一升瓶のような。

愛媛から熊本に引っ越した時、熊本に「ポンジュース」はありませんでした。その後東京に引っ越し、何年かしてから東京に「ポンジュース」が出現しました。その時は一升瓶でなく、ペットボトルだったような気がします。そうしてポンジュースは、全国に広まったようでした。

ただ、今のポンジュースは、昔飲んだ愛媛のポンジュースとは、味が違う気がします。昔のポンジュースは、もろ蜜柑の味だったはずですが、今の全国的ポンジュースは、なんか蜜柑とは違う味のような気がします。それでも、100%果汁には違いありませんが。

そんなこんなの、愛媛県松山市での暮らしでした。そして、入居してからちょうど2年後の12月24日、熊本に引っ越すんです。

今日はここまでにします。読んでくださった方々、大変ありがとうございました。次回は、いよいよ熊本、初めての九州での生活です。

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